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――そもそも26年前、田原さんがジャニーズ事務所から独立を決断した理由は?

田原 僕の中では、ジャニーさんと一緒にできること、吸収するもの、教えは全部(合格の)ハンコを押してもらったつもりでいたんだよね。10年目まではショーも歌もジャニーさんが全部やってくれたけど、11年目からは僕が実質的にショーを全て作るようになってたから。

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 それに『教師びんびん物語』(フジテレビ系)みたいな芝居の仕事も増えて、そっちの仕事は完全に“田原俊彦窓口”で、僕がイエス・ノーを決める。だから、もっと自分でいろんなことを決めて自由にやりたい思いと、いつまでもジャニーズに寄りかかっていちゃいけないという思いもあって、独立を決断した。それでも、一番元気がいい時に卒業させてもらったから、世の中からは「絶対にいい辞め方じゃない」と言われる時代だった。「生意気だ」ともよく言われたね。

「ジャニーズを辞めた人間を成功させちゃいけない」

――ジャニーズ事務所から独立後、メディアは田原さんを「生意気だ」と大バッシングしました。ジャニーズという事務所の力、そこを出ることの厳しさについても感じたと思いますが、その経験は田原さんにとってどんなものでしたか?

田原 僕は1993年に結婚して、“ビッグ発言”も叩かれたよね。娘が生まれて記者会見を開いた時に、「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきませんけどもね」と言ったのが、「調子に乗ってる」って言われてさ。

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 実際は叩かれるのはどうでもよかったけど、確かにテレビに出る頻度は愕然とするほど下がったね。ジャニーズの子との共演は絶対NGになったし、それは今も続いている。今で言う忖度っていうの? テレビ局側が気にしてるんだから、僕にはどうしようもなかった。

 要するに、「ジャニーズを辞めた人間を成功させちゃいけない」ということですよね。もし僕がジャニーズを辞めて活躍してたら、「俺も行けるな」という子がきっと出てくるじゃない。それは防がなきゃいけない、第2の田原俊彦を出してはいけないっていう。でも逆に、叩かれて「よーし」って燃えた部分もあったよ。僕にはジャニーさんから教わったスキルがいっぱいあるし、歌って踊ったら誰にも負けない自信もあったからさ。