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“挫折”した最初の起業…ツイッター社長がいま考える「事業成功のために一番意識すること」

“挫折”した最初の起業…ツイッター社長がいま考える「事業成功のために一番意識すること」

ツイッター社長に30の質問 #19

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時代を先取りしすぎた

「クリエイティブ・リンク」が続いたのは2年でした。

 たしかに短い期間ではありましたが、インターネットバブルの中で会社はちゃんと成長して、サービスもうまく広がっていったと思います。

 展開したサービスは、簡単に言えば「ネット上のレストランガイド」です。

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 まず個人がレストランに対して、星の評価を付けます。さらに投稿者(レビュワー)もランキング化します。トップのレビュワーを取材して、さらにレストランも取材するというもの。すると、人気のレビュワーは今でいうインフルエンサーのようになっていきます。

 そういえば『レストランガイド』という本も出版しました。ミシュランのような存在になることも目指していたんです。やれることはいろいろとやらせていただいたと思います。ただ、タイミングが早かった。時代を先取りしすぎましたね。

小さい会社ながら中国にも進出

 実は、ほぼ同時期に中国でも「レストランガイド」を立ち上げています。今考えると、小さな会社でなぜそこまで手を広げたのかと反省しているのですが……。

 中国では、日本でいう「文科省」にあたるところがインターネット事業を統括していました。その省庁に人脈がある、中国の政治に強い人間がたまたま社内にいたのです。CEOの判断で事業をやることになり、「裕くん、ちょっと中国へ行ってきてよ。中国で立ち上げたいからさ」と言われたんです。

 ぼくはレストランの写真を撮るために中国に向かいました。デジタルカメラを10個ぐらい持って上海に向かったのですが、すべて空港で没収されて機内に持ち込めなかったのをすごく覚えています(笑)。いま振り返ると、ちょっと考えられないくらいの冒険でした。下手をしたら、中国で刑務所に入れられていたかもしれません……。

 

 当時の中国の事情を目の当たりにして学ぶことはたくさんありました。中国の方はよく外食をするんですね。だからまずはレストランを起点として、そこから向こうでも人気がある日本のメイクやファッションなど、さまざまなコミュニティを作れるのではないか、と考えたりしました。

 中国で失敗した理由は明確です。当時の中国は中華料理がメインで、他の国の料理はほとんどありませんでした。だから「レストランガイド」ではなく「中華レストランガイド」になってしまったんです。それもあって結局、中国からは手を引くことになりました。

「クリエイティブ・リンク」から続く“コミュニティ意識”

「クリエイティブ・リンク」としては、レストランガイドにとどまらず「コミュニティで世界を変えよう」と考えていました。

 レストランやコスメ、ファッションといった共通のテーマに関するマイクロなコミュニティをたくさん作り、最終的にはコミュニティのポータルのようになれればいいなと思ったんです。ある意味で、いまに続く関心だとも思います。

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