対するフェミニストの主張は……
高橋さんは、「フェミニストの多くは、萌えキャラを広告にするのが悪いとは全く思っていない」と述べた上で、「女性にとっての性的自由とは、本人が望むような形で性的対象化されることだけでなく、本人が望まないような形での性的対象化を避けることも含まれる。フェミニストは、性別ステレオタイプ(性別役割分業)を描いた表現や、女性の身体を過度に性的に描いている表現は、後者の性的自由を守る観点から、抑制してほしいと思っている。広告において、どのような性表現は良くて、何がよくないのかを、話し合いを通して、明瞭にできるところまで明瞭にしたい」と主張した。
性表現の基準をめぐる議論になった際、「一枚羽織らせる」ことを擁護する立場の高橋さんの意見に対して、チャットでは「公的な場で女性の服装を縛るのがフェミニズム?」「公的な場だから女は一枚羽織れって、保守的な頑固オヤジと同じでは」などの書き込みがなされ、ツイッターで議論を実況していた人たちからも批判的な意見が溢れた。「萌えキャラが上着を着たところで、私の権利が何か守られるんですか?」という女性からの声もあった。
高橋さん自身は、「さっきから、校則にうるさい風紀委員みたいな発言ばかりになってしまっているよね……」と苦笑しつつも、性別ステレオタイプや性差別を助長する可能性のある表現を批判する、というスタンスは一切曲げなかった。
女性の性的自由を守りたいフェミニストの視点から見れば、萌えキャラに「一枚羽織らせる」ことは、現実的な解決策だと言えるかもしれない。決して「萌えキャラを公の場に出すな」と言っているわけでもない。
フェミニストとオタクは共生できる?
しかし、一部の女性にとって「公の場で認めてほしくない」=自分が社会的に疎外されている、モノ扱いされていると感じる表現は、オタクにとって「公の場で認めてほしい」=自分が社会的に包摂されたと実感できる表現になる場合もある。
女性の性的自由と表現の自由、二つの自由がぶつかり合う中で生じた対立は、どれだけお互いの信じる正義をぶつけ合ったとしても、埋まるものではないだろう。
フェミニストとオタクとの間で、萌えキャラをめぐる終わりのない戦いがSNS上で繰り返されている現状に対して、高橋さんは、「両者が話し合いのできる回路を開いておく必要がある。今回のイベントの目的はここにあると、私は理解している」と主張する。青識さんは、「オタクも非モテもフェミニストも、いずれかの存在が無くなるということはありえない。共生のルールは、対話で作るのが最善」と主張する。