対話のためには、お互いの心情や発言の文脈、大切にしている価値観と歴史を共有する場が必要になる。同じ時間と空間の中で、「萌えキャラに一枚羽織らせること」もしくは「羽織らせないこと」によって、自分たちがどんな気持ちになるのかを、相手に伝わる言葉で言語化していく必要があるだろう。
今回のイベントによって、公の場での性表現をめぐるフェミニストとオタクの対立が解消された、というわけでは全くない。両者を納得させる明瞭な基準や明快な答えが出たわけでもない。イベントの最中、そして終了後も、ツイッター上では双方の陣営に対する批判的な意見が飛び交っていた。
その一方で、「面白かった」「終始勉強になった」「遠回りでも地道にやるべきことをやっていく、これは間違っていないよね」など、こうした場が設けられたこと自体を評価する声も数多くツイートされた。17時に始まったイベントは、本編が終わった20時以降も参加者からの質問や意見が殺到し、日付の変わった深夜25時過ぎまで質疑応答が続いた。
「ヤバそうな人だと思っていたけれど……」
萌えキャラと公の場での性表現をめぐる問題に関して、意見の異なる相手に自分の気持ちを伝えたい人、意見の異なる相手の気持ちを知りたいと考えている人が、これほどまでにたくさんいたことに、改めて驚かされた。これまでお互いに話し合える場が存在しなかったことで、どれだけ多くの不要な対立が起こり、どれだけ多くの人が傷ついてしまったのだろうか。
質疑応答の中で、普段ツイッターのアカウントを通してしかやりとりしていない人たちが、お互いの生の声を聴いたことで、「この人、こんな声をしていたのか」「ヤバそうな人だと思っていたけれど、意外と話せるじゃないか」という感想が飛び交う場面もあった。
共生のルールをつくるために必要なことは、「萌えキャラに一枚羽織らせること」でもなければ、「一枚羽織らせるべきと主張する人を叩くこと」でもないだろう。
お互いに顔を突き合わせて意見を交換し合い、既成事実としての対話を積み重ねていくこと。そうした中から、公の場でのジェンダーや性表現をめぐる議論がますます重要になっていくこれからの時代に必要な、新しい「フェミニズム」の姿が浮かび上がってくるのではないだろうか。