「しらけ鳥音頭」や人気キャラ「小松の親分さん」などで知られる、我が国を代表する名コメディアンのひとり、小松政夫さんが12月7日、肝細胞がんのため、東京三鷹市の病院で逝去した。享年78。
小松さんの経歴や人となりは他の有識者の方々がご証言されると思うので、ここでは筆者自身の小松さんの思い出を交えつつ、生前、ご本人からお聞きしたヒットギャグ誕生秘話をご紹介して追悼に替えさせていただこう。
伊東四朗さんとの“名コンビ”
小松さんは1975年4月にスタートしたTBS系の『笑って!笑って!! 60分』からは先の「小松の親分さん」、翌76年10月スタートの『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』からは「電線音頭」、「しらけ鳥音頭」などの大ヒット曲を続け様に放ち、一世を風靡した。どちらも、同じく名コメディアンで名優の伊東四朗さんとタッグを組んでおり、お二人はコンビではなかったが、国民の多くがこの時期、“名コンビ”と認識していた。それを逆手に取って、二人で「名コンビ!」とシャウトするギャグもあった。
「電線音頭」は『みごろ~』の前番組『ドカンと一発60分!』(75年)で桂三枝さんが歌っていたもののカバー曲(?)で、デンセンマンという名キャラを登場させたことで大ブレイクしたという経緯を持ち、純粋に小松さんおひとりだけのヒット曲というわけではない。なお、このデンセンマンのデザインは『仮面ライダー』(71年)等で知られる巨匠・石ノ森章太郎先生だったりする。