私はシュアムの生まれ故郷であるネパールを訪ね、1カ月半にわたって取材を敢行した。
彼はネパールの首都カトマンズからバスで2時間、さらに山道を2時間ほど歩いたマットラという山村で生まれた。ネパールでは今もカースト制度が人々の生活を縛っている。シュアムはカースト制度のなかで最下層に位置する鍛冶屋のカーストに属し、村の一角に彼の一族が固まって生活していた。指輪などをつくる銀細工の職人は、鍛冶屋のカーストが担っている。
10歳の頃に彼は村から首都のカトマンズへ出て、1人の銀細工職人のところに弟子入りし技術を学びながら働いた。彼の一家は“土地を持たない”ために生活が厳しく、シュアムがカトマンズで職人に弟子入りしたのは“口減らし”の意味もあった。私は、カトマンズで今も銀細工職人を続けている、シュアムの師匠を探し当てた。
「村から出て来た当初は真面目に働いていたけど、数年して仕事を覚えると、酒を飲んだりタバコを吸い始めて、どんどん生意気になっていったよ。結局私の家から30ルピー(当時のレートで60円)ほどの金を盗んで出て行ったよ」
シュアムはネパールに妻子がいた
さらに取材を進めていくと、驚くべき事実にぶつかった。シュアムは智江さんと出会ったときにはすでに妻子がいたというのだ。
「シュアムにネパール人の奥さんがいることは、みんな知っていたと思うよ。知らなかったのは、智江さんだけじゃないかな」
工房の同僚によれば、シュアムの妻は毎日工房に来て働いているという。シュアムの逮捕により、自ら生活費を稼いでいるというのだ。
工房を訪ねてみると、広さは畳二畳分、高さは160センチほど、工房というよりは物置き小屋と呼んだほうがしっくりくる。銀細工をするための工具が所狭しと置かれていた。
シュアムの事件のことで日本から取材に来たと告げ、「ここにシュアムの奥さんはいますか」と尋ねた。すると、手前で作業をしていた男が、黒いサリーと呼ばれる民族衣装を着た女性を指差した。
「あなたはシュアムの奥さんですか」とあらためて直接その女性に聞いた。すると彼女はすぐに、「はい」と返事をした。事件を知っているかと尋ねると、「知っている」と頷いた。