早朝から数千人におよぶ日雇い労働者が押し寄せ、ヤクザの息がかかった手配師たちが手際よく仕事を供給する…そんな光景が当たり前だった在りし日の山谷。もしもヤクザがいなければ、手配師たちが機能せず、日雇い労働者は稼ぐ手段を失い、結果的に山谷の経済も崩壊する、という意味では、“ヤクザがいなければ機能しない街”であったともいえるだろう。
特権を持つヤクザが労働者への賃金を支払わないことも決して珍しくはなかった。そんなときに登場したのが、ヤクザの暴力団に真正面から立ち向かう新左翼過激派の“争議団”たち。彼らがヤクザとの衝突を繰り返すなか、警察は一体どんな役割を果たしていたのだろうか。
牧村康正氏の著書『ヤクザと過激派が棲む街より、当時の関係者たちの証言を引用し、紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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凶器準備集合罪
西戸組(注:博徒として山谷一帯を縄張りとしていた金町一家の傘下団体)は争議団若手メンバーの冬樹を拉致したうえで監禁し、17時間にわたってリンチを加えた。冬樹は殴る蹴るの暴行を受けたあとガムテープでぐるぐる巻きにされ、「足をバラバラに切りきざむ」「コンクリート詰めにして東京湾に沈める」などと徹底的に脅されている。その執拗さに西戸組の激昂ぶりが伝わってくる。なお、このとき冬樹は西戸組にカメラを奪われているが、その持ち主は、山谷でも活動した女性戦場カメラマン・南條直子(後述)のものだったともいわれる。また西戸組は逮捕された争議団メンバーのアパートにも押し入り、そこにあった文書類、越冬闘争の記録フィルム、映写機を強奪した。これらの行為はたんなる乱暴狼藉というより、意識的に争議団所有の写真・映像を狙ったものと解釈できる。
金町戦勃発の要因を、三枝(注:争議団メンバー)が体験したもう一つのエピソードで確認しておこう。
「僕らも相手を拉致したことはあるんですよ。皇誠会登場のあと、喫茶店に金町一家の組員が一人でいるのを見つけて誘拐したんです。そのまま車に閉じ込めて、目隠しをして倉庫へ連れ込みました。ここは港の大きな倉庫だから誰も来ないぞ、とか事実とはまったく違うんだけど適当なことを言って、そこにあった工具で部屋のあちこちをガンガンたたいて脅したんです。そうしたら相手はすっかりビビッちゃってね。いろいろ聞き出したんですけど、その組員は博打にかかわっていて、要するに、米びつに手を突っ込まれるようなことをされたから黙っちゃおれん、それで皇誠会として出たんだ、というようなことを言っていましたね」
“米びつ”うんぬんはヤクザの常套句であり、実際シノギに関する妨害行為に対して、ヤクザは堅気の予想をはるかに超えて敏感に反応する。南の賭場荒らしは、末端の組員にまで怒りが伝わるほどのことだったのである。
西戸組が「殺人予告」のビラを出したのは、街宣車が燃やされた直後のことである。三枝は「ビラについてはちょっと記憶がない」と振り返るが、ある争議団メンバーはこう見ていた。