「ネパールの妻のことは誰にも言わないでください」
ネパールから日本に戻ると、シュアムと面会するために、札幌の拘置所に足を運んだ。待ち合い室で30分ほど待たされると、私の番号が呼ばれた。パイプ椅子に座り、数十秒ほど待つと、刑務官と一緒に水色のパジャマを着たシュアムが現れた。ナマステと手を合わせると、彼も手を合わせた。
「あなたとは会ったことがないと思いますが、どなたでしょうか?」
シュアムは目をキョロキョロさせ、落ち着かない表情を浮かべながら聞いてきた。ネパールで聞いてきたさまざまな悪い噂とは結びつかない、どこか少年のような幼さが顔には残っていた。私がネパールの妻や子どもにも会ったことを告げると、シュアムは目にうっすらと涙を浮かべた。
「日本へは働きに来ただけだよ。だけどお金はもらえなかった。朝から晩まで働きづめで、ゆっくり話すこともできなかった。薪割り、雪かき、竹の子取り、1着のコートも買えなかった。お金を1回も送ることができなかったんだ。智江も日本の両親も僕に嫁さんや子どもがいることは知っていたよ」
シュアムはあくまでも、日本には働きに来たことを強調し続けた。彼の口からは事件を起こしたことを悔いる言葉は出てこない。自己弁護を弄し、智江さんも両親もネパールに妻子がいることを知っていたと嘘をつく姿に、怒りが込み上げてきた。
シュアムと面会する前日、私は智江さんの両親と会い、ネパールで結婚していた事実や犯罪歴をなどを余すことなく伝えていた。
「そうか。そんな人間だったんだなぁ」
父親はそう言ったきり黙ってしまい、母親は手で顔を隠し声をあげて泣いてしまった。2人がシュアムが結婚していた事実を知るはずもない。
私は智江さんの両親の無念さを胸に感じながらシュアムに尋ねた。
「それではなんで智江さんと一緒に生活をしていたんですか。智江さんと結婚して日本に来て、娘さんもできたでしょう」
すると、今まで饒舌に話していたシュアムは答えに窮した。苦しまぎれにシュアムが言った。
「頼むから、ネパールの妻のことは誰にも言わないでください」
その言葉でシュアムは智江さんの両親だけでなく、智江さんにもネパール人の妻のことを伝えてないことを確信した。
最初は、あどけない少年のように見えたシュアムが、醜悪な獣にしか見えなかった。後味の悪さだけを感じながら、シュアムとの面会を終えた。殺害された智江さんは、結婚の意思を両親に伝えたとき、シュアムについてこう言っていた。
「純粋で仕事を真面目にする人なの。だから心配しないでほしい」
智江さんはシュアムと暮らすことによって、幸せな生活を送ることを夢見た。しかし約1年の生活でその夢は破綻し、命すらも絶たれてしまった。
日本とネパール、2人の女性と赤子の運命を弄び狂わせた人面獣心のシュアムは、懲役15年の実刑判決を下され府中刑務所に服役していたが、智江さんの父親によれば事件から12年の歳月が過ぎ、すでに故郷ネパールに帰り、何事もなく暮らしているという(本文中一部敬称略)。