映画『ナウシカ』は、映画の序盤で古い伝承を示す。「その者青き衣をまといて金色(こんじき)の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地に導かん」。厳しい時代を生きる人間が語り継いできたこの伝承が、ナウシカによって体現され真実となる。そういう仕掛けに向かって映画は最初から進んでいるのである。
つまり映画は「予言された救世主の降臨」を待つ物語であり、これでラストシーンが宗教的にならないほうが難しい。クライマックスを劇的にするために「死と再生」を取り入れたことは「語り口」の方法論の範疇であって、「こだわりを感じる」問題の根っこは、そもそも作品に内在していたのだ。
宮崎はこうも語っている。
「あれ(引用者注:『ナウシカ』という物語のこと)は宗教的に終わらざるを得ないんです。今やってもやっぱりね、そういうところに持っていくだろうと思うんですよ。だから、それに対して自分の備えがあまりにも浅かったっていうことですよね」(※2)
そして、こうした「備えが浅かった」「まだ終わった感じがしない」という思いは、漫画『ナウシカ』へと引き継がれていくことになった。
漫画『ナウシカ』で描かれたもうひとつのラストシーン
間に映画制作のための中断を何度かはさみながら、漫画は描き継がれ、映画公開から10年後の1994年、『ナウシカ』という物語は完結を迎える。この10年の間に、世界は冷戦が終了して内戦とテロの時代となり、国内ではバブル経済が崩壊して長い黄昏の時代が始まっていた。そうした時代の中で描かれた最終回には、映画とは異なるもうひとつのラストシーンが描かれている。
漫画のラストを、ネタバレを避けつつひとことでいうなら「青き衣」の伝承=予言の否定である。多くの登場人物にはもしかしたら伝承=予言の成就がなされたように見えるかもしれない。そのような描写も出てくる。だが、その予言の内実はナウシカ自身によって密かに裏切られているのである。そういう二重性のあるラストを描くことで、漫画『ナウシカ』は映画『ナウシカ』が残した宿題に決着をつけたのである。
漫画『ナウシカ』は「ラストでナウシカがよみがえるところ、あの場面にいまでもこだわっていまして、まだ終わった感じがしないんです」という映画『ナウシカ』への思いから生まれた、宮崎のアンサーなのである。
※1 ジブリ・ロマンアルバム『風の谷のナウシカ』(徳間書店)所収のインタビュー。『出発点』(徳間書店)所収より
※2 宮崎駿『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』(ロッキング・オン)
※3 鈴木敏夫『仕事道楽 スタジオジブリの現場 新版』(岩波新書)