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「切り抜けた」と「あれでよかったんだろうか?」

 2001年のインタビューで宮崎は『ナウシカ』のヒットの感想を聞かれて、こう答えている。

(ジブリHPより)

「また、ものを作るチャンスがめぐってくるかもしれないなって思って、本当にほっとしたんですよ。(略)だから『やった!』じゃなくて『切り抜けた』っていう実感のほうが強かったです」(※2)

 そして宮崎は『ナウシカ』という局面を「切り抜けた」ことで、徳間書店という後ろ盾とスタジオジブリという拠点を得て、ここからコンスタントに映画を発表していくことになる。

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(ジブリHPより)

 しかし、この「切り抜けた」という安堵の裏側には、常に「商売としてほっとした段階の後に『あれでよかったんだろうか?』っていう問題が、またボディーブローのようにキいてきたんですよね(笑)。これちょっとややこしいとこに入ったなあって。」(※2)という思いがあったという。

映画にならないものを映画化した『ナウシカ』の矛盾

 宮崎は漫画『ナウシカ』について「漫画をやるからには、映画だと絶対よけてしまうような問題に取り組もうというふうに決めてたんです。そうしなければ漫画家でもない自分が漫画を描く意味はないだろうって思ったもんですから」(※2)と語っている。

(ジブリHPより)

 つまり漫画『ナウシカ』を映画化するということは、映画にならないものを映画としてまとめる、という矛盾を孕んだ行為だったのだ。その結果、映画は「ややこしいとこ」に踏み入ることになる。その「ややこしいとこ」の中心にあるのが、冒頭に挙げた「ナウシカが蘇る」というラストなのだ。

カタルシスに欠けた最初のラスト

 そもそも宮崎は、どういう経緯で「ナウシカがよみがえる」というラストに至ったのか。そこには、当時「アニメージュ」の編集者だった鈴木敏夫と、同作にプロデューサーとして関わった高畑勲監督の影響も少なからずある。

高畑勲監督 ©️文藝春秋

 トルメキア軍に侵攻されたペジテの人々は、風の谷に駐留するトルメキア軍への報復を実行する。それは王蟲の群れを暴走させ、風の谷に突入させるというものだった。

(ジブリHPより)
(ジブリHPより)

 最初に絵コンテが完成した段階では、クライマックスは、暴走する王蟲の群れの前にナウシカが降り立ち、それにより壊滅的被害は避けられるというものだった。しかし、このラストはいかにもカタルシスに欠ける。この映画に深くコミットしていた鈴木は「これでいいのか」と疑問に思ったという。また高畑も「娯楽映画のラストとしてこれでいいのか」と同意見だった。