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《追悼・野村克也》「陰気」「気難しい」「芸がない」…そんな男の何がプロ野球を変えたのか

2020/12/27
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野球を変えた「ノムラスコープ」

 しかしテレビ朝日に移籍してからは、ぼそぼそした声ではあるが、投手の配球や戦術を見事に予言する解説者として注目を集めるようになる。

 とりわけ「ノムラスコープ」である。野村は捕手の構えるミットを中心としたストライクゾーンを9分割し「今度はここに緩いカーブが来る」「次は内角の速球だ」と予測をしたのだ。

 ファンは「ここに投げておけば、この打者はファウルする」という野村の予言がことごとく的中することに驚いた。

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 そして現役時代の野村克也がどんな野球をしてきたかを思い知ったのだ。

現役時代の野村克也 ©文藝春秋

「ノムラスコープ」に驚いたのは、野球ファンだけではなかった。テレビ朝日の野球中継がある試合では、球団のベンチ裏では、テレビでコーチが野村の解説に見入っていた。「次はここにこんな球が来る」と野村が言うと、コーチは打者にサインを送った。かなり高い確率で的中したという。のちに、ベンチ内にテレビを置くことが禁止されたが、これも「ノムラスコープ」の影響といってよいかもしれない。

「今日は何個足りませんでした」

「ノムラスコープ」でもわかるように、解説者野村克也は「結果論を言わない」ことを信条にしていた。

 これは野村の師匠である鶴岡一人の考え方と同じだ。1969年、南海を辞した鶴岡一人は、大阪毎日放送の解説者になるにあたり、「それ見たことか、の結果論は言わない」ことを心に決めた。

 そもそも野村克也の野球観は、鶴岡一人によって培われたものだ。

鶴岡一人 ©文藝春秋

 野村がプロ入りして3年目の春、鶴岡南海はハワイに遠征をした。野村は前年二軍暮らしだったが「カベ(ブルペン捕手)」として帯同を許された。

 この遠征は、散々なものになった。着いたばかりの歓迎パーティーで、チームを引率した球団代表がふざけてフラダンスをして写真に撮られ、日本のスポーツ紙にでかでかと載った。南海本社は激怒して、球団代表を帰国させた。また選手たちは地元日系人の大歓迎に浮かれて門限を破って遊びに出かけた。

 そんな中で、野村克也は黙々と球を受け続けた。野村は使用したボールを管理する役を任され、毎晩鶴岡の部屋で「今日は何個足りませんでした」と几帳面に報告していた。その質朴さに鶴岡は感じ入った。正捕手の松井淳に代わって試合に出してみるとそこそこリードもするし、打撃も良い。

 鶴岡は帰国後の空港で記者に囲まれると「この遠征の話は何もない」と言って背中を向けたが思い出したように「野村だけが収穫や」とポツリと語った。ここから野村の将来が拓けたのだ。