1ページ目から読む
3/4ページ目

野球への視線が変わらない師弟関係

 鶴岡一人の野球は、相手を徹底的に調べ上げて、それに対して的確な手を打つというものだ。いち早くMLBの戦術も取り入れ、尾張久次というスコアラーも起用した。作戦の要の捕手である野村克也は鶴岡一人の「頭脳野球」を徹底的に学んだ。

 後年、野村克也は自身が南海を追われたのは鶴岡の差し金だと言った。二人は不倶戴天の仲になったが、当然ながらその野球観はよく似ていた。

 筆者は、NHKの解説者になってからの鶴岡一人の解説をよく聞いたが、鶴岡が常々指摘したのは「なぜちゃんと準備をしないか」ということだった。

ADVERTISEMENT

「広瀬(叔功)は、なぜあんな所に守っておるんでしょう。打者は左ですが、流し打ちが得意なのに」

「あの捕手は、ゴロが飛ぶたびに、一塁のバックアップをしっかりしとります。ああいう捕手がいると、内野が安心するんです。打てなくても、ああいう捕手は大事です」

野村克也(左)と王貞治。NPBのホームランと打点歴代1位と2位の二人 ©文藝春秋

 野村の解説も同様だった。

「『来た球に合わせて打ちました』という原(辰徳)の言葉を聞いて、まだまだだなと思いましたね。山本浩二にしても掛布にしても、一流の打者はみんな配球を読んで準備しています。投手の手の内を読んで、バットを振ることができて一流打者だと言えますね」

「巨人というチームは、昔はワンアウトをとる手段をたくさん持っていました。三振や凡打だけでなく、ピックオフや連係プレーなども含めて。その引き出しの多さが財産だったのですが、最近は個人の力に頼るようになった。チームプレーができなくなった分、西武より弱くなったと思いますね」

 チームとして万全の準備をして事に臨む、それがプロの仕事だという点で、鶴岡と野村の考え方はぴたりと一致していた。

なぜ野村の野球観がサラリーマンにも受け入れられたのか

 野村はその後、ヤクルト、阪神、社会人のシダックス、楽天の監督を務めたが、その合間に解説も務めた。さらには1980年以降、多くの著作を世に出した。

ヤクルトでは日本一にも輝いた ©文藝春秋
シダックス監督時代 ©文藝春秋
指揮官として最後に率いることになった楽天イーグルス ©文藝春秋

 当初は、野球ファンが野村の本を読んだが、次第にビジネスマン、さらには経営者が野村克也の話に耳を傾けるようになった。

 それは野村克也の野球論が、傑出した天才選手が大活躍することを前提にしているのではなく、ごく普通の選手を動かして勝利を得る道筋をわかりやすく説いたからだ。

 平々凡々たる社員からなる企業を経営する世間の経営者にとって、野村の理論は企業経営にも転用しやすかったのだ。