準備してダメなら「ごめんなさい」でいい
2020年春、野村克也が世を去ったのちに、筆者は愛弟子の一人、定岡智秋に話を聞いた。定岡は
「監督は『野球は確率のスポーツやから』が口癖で、初球は何が来る、このカウントやったら何が来る、それをデータで把握する。それを待っていて来なかったら、そのときは『ごめんなさい』でいいという割り切りも教わりました。また打球の方向のデータを全部取って、このケースではこう守りなさい、このケースではこうしなさいと全部ゲーム前に指示されて、私もそれを頭の中に入れて試合をしていました」
と語った。テスト生同然の身分でプロに入り、鶴岡一人に「準備することの大切さ」を学んで大選手に成長した野村は、後進に対してもその教えを、諄々と説いたわけだ。
「芸」にはならないが657本ホームランを打った男の“すごみ”
とはいえ筆者は野村克也が平凡な選手だったとは思わない。南海で野村の教えを受けた柏原純一は、「監督のスイングは僕よりも速かった。バットを振るとぶんっとものすごい音がした」と語っている。打者としても野村克也は傑出していたから657本ものホームランを打つことができたと思う。
率直に言って野村克也の解説は「芸」としては面白くなかった。面白さでいえば、同学年の長嶋茂雄の方がはるかに上だった。「今のプロ野球にはスターはいますが、スーパースターがいませんね。スーパーがないのが問題です」筆者は田舎に引っ越したばかりの主婦じゃあるまいし、と突っ込んだものだ。
しかし野村克也は、野球という競技が高度化すると、こんなに頭を使うのだ、ということを思い知らせてくれた。その知恵の深さに畏敬の念さえ抱いたものだ。
サッチーがいなくなったあと、長年の鎧を脱いだ野村克也
サッチー夫人を亡くしてからの野村克也は、寂しさを詠嘆する孤独な老人になってしまった。その可愛らしさに筆者はちょっとたじろいだが、様々な圧力や偏見、誤解と戦ってきた男が鎧を脱いだ姿だったのだろう。
今年の日本シリーズは、福岡ソフトバンクホークスが、読売ジャイアンツを2年連続で4タテした。いろんな意味で衝撃的だったが、野村克也ならホークスの勝因、巨人の敗因をどのように評しただろう? あのぼそぼそした語り口調で聞いてみたくて仕方がない。