「人は誰しも、うまく言葉にできず、大事な人にも伝えられない“宿命的なモヤモヤ”を抱えて生きていると思う。そんなモヤモヤは、映画や小説などのカルチャーを通してだと、不思議と、人から人へ伝えることができるんですよね」――そう語る桜庭一樹さんは小説家のなかでも屈指の映画好き。
「週刊文春」の人気連載が収録された新著『桜庭一樹のシネマ桜吹雪』は、まさに「自分の抱える“宿命的なモヤモヤ”を可視化してくれる」ひと癖もふた癖もある絶品映画ばかり。本書から3選、桜庭さんが太鼓判をおす極上の“悪夢の映画”を紹介します。
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「一人選んで殺せ」というおまじない 『聖なる鹿殺し』
空から鉄骨が降ってきたとか、暴走車にはねられたとか、通り魔に刺されたとか。そういうニュースを聞くと、震えあがってしまう。自分の側には理由がないわけで、つまり、避けようがない。あなたはたまたま不運だったんだよ、と言われても、到底あきらめきれないだろう。
だからこそ、占いやおまじないの人気が廃れないんだろうなぁ、とも思っている。不運を祓うために、水回りをきれいにしましょうとか、盛塩をしましょうとか。べつに信じてないはずなのに、トイレや洗面所をピカピカにすると、なぜだか安心する。それは、わたしが、“理由のない不幸”に遭うことを内心ひどく恐れているからなんだろう。
さて、この作品は、ギリシャの男性監督による文芸系ホラー映画だ。
少年マーティンのお父さんが、心臓病の手術中に亡くなってしまった。マーティンは悲しみのあまり、手術した医師スティーブンにこう宣言する。
「あなたは父を殺した。だからあなたも、自分の家族を一人殺して。そうしないと家族全員が死ぬでしょう」
理由のない不幸、その事実に耐えられない
すると、なんと、その言葉通り、スティーブンの二人の子供が病に倒れてしまう!
スティーブンは、じつはくだんの手術のとき、酔っぱらっていた。その良心の呵責もあってか、だんだんマーティンの宣言を信じ始めてしまう。妻と二人の子供のうち、誰かを殺さなければ、全員死ぬ運命なんだ、と。
マーティンの父の死も、スティーブンの子供たちの病気も、たまたまの不運、理由のない不幸だ。でも、二人とも、その事実に耐えられない。どうして? もちろん、家族を愛しているからだ。だから、少年と医師は、一緒に作ったおまじない「一人選んで殺せ」に執着してしまう。そして……?
極北で全身が凍りつくような、酷い悲しみを描いた、不条理な家族愛の映画でした。