「残業代を死んでも出すなと上から言われてるんやろ」
夕方を過ぎると一気に空が暗くなってきた。ポツポツと雨が降っている上にジェット噴射の水が身体に跳ね返る。季節は一応春ではあるが、手がちぎれるほどかじかんで、じっとしていられない。定時の17時まではまだ2時間近くある。せめて雨ぐらい止んでくれないものかと空を見上げると、遠くのビルの看板に「尼崎」という文字が見えた。そういえば自分がどこの現場に行くのか知らされていなかった。
17時になると道具の片付けも途中のまま、定時ちょうどに帰らされた。
「残業代を死んでも出すなと上から言われてるんやろ。ほら帰るぞ」
自分たちみたいなドカタ連中に残業代が出ることに驚いた。バンに乗り込み、タイヤの上で揺られながら飯場に向かう。現場が尼崎だとすると、あの野球ドームは大阪ドームだろうか。数日前、テレビでオリックスの山岡がオープン戦で好投しているというニュースを見た気がする。
飯場に戻るとS建設の社員に現金2000円を手渡された。給料は毎日手渡しと聞いていたので、これでは1日働いて寮費と合わせて5000円。日給は1万円とたしかに求人には書いていたはずだ。出た、これが最下層労働者の宿命かと肩を落としていると、
「これは前借りや。残りの分は寮を出るときにまとめて渡すから安心しろ」
と社員は笑っていた。周りを見ると後ろに並んでいる他の人たちは現金4000円を受け取っていた。初日に前借りできる金額は2000円で、明日からは4000円らしい。1000円札4枚を手にしたおじさんたちはウキウキした表情で夕方の街へと駆け出していった。
「休みだから梅田の競艇買いに行くけど、お前も行くか?」
「ああやってな、みんな1日で4000円使っちまうんだ。だから10日働いても手元に残るのは3万円。あいつら一生飯場暮らしだぞ」
宮崎さんは「まったく呆れちまうぜ」といった様子で4000円をポケットに突っ込んでいる男たちを指差す。そういう宮崎さんも2000円分の酒と、タバコ2箱とポテトチップスが入ったビニール袋を右手に提げている。私は最終日に一気にもらった方が嬉しい気がしたので、前借りはしなかった。
「え、兄ちゃん前借りしないの? しっかりしてるんだな。明日は日曜で現場が休みだから梅田の競艇買いに行くけど、お前も行くか?」
タコ部屋のドカタとギャンブル。なんともロマンのある響きではないか。さっさと風呂入って飯食って布団に入ろう。現場はしんどいが、飯場は風呂もあるし飯も美味い。そして何もしないでダラダラしていてもいいという空気がそうさせてくれる。他の労働者たちも風呂に入ってメシを食って、ビールを飲んで部屋で横になりながらテレビを見ているだけだ。
※本書は著者の体験を記したルポルタージュ作品ですが、プライバシー保護の観点から人名・施設名などの一部を仮名にしてあります。
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