筑波大学を卒業後、就職せずにライターとなった筆者が、「新宿のホームレスの段ボール村」について卒論を書いたことをきっかけに最初の取材テーマに選んだのは、日雇い労働者が集う日本最大のドヤ街、大阪西成区のあいりん地区だった。

 元ヤクザに前科者、覚せい剤中毒者など、これまで出会わなかった人々と共に汗を流しながら働き、酒を飲み交わして笑って泣いた78日間の生活を綴った國友公司氏の著書『ルポ西成 78日間ドヤ街生活』(彩図社)が、2018年の単行本刊行以来、文庫版も合わせて5万部のロングセラーとなっている。マイナスイメージで語られることが多いこの街について、現地で生活しなければ分からない視点で描いたルポルタージュから、一部を抜粋して転載する。

筆者が作業した解体工事現場(筆者提供)

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「お前何をやってるんや。何回言えば分かるねん」

 私は子どもの頃、勉強も運動もできる方だった。中学生の時、所属していた野球部ではピッチャーもやっていたし、勉強をしなくてもテストはクラスで1位だった。高校は進学校に入り、ストレートで国立大学に合格した。将来は自分にしかできない仕事に就いて、周りから尊敬されるような人間になるものだと根拠のない自信を抱いていた。

 しかし大学に入り、自分はそんな人間ではないことに気付いた。やりたいことが見つからず3年間も大学を休んだ。その間、水商売のアルバイトで性格はすさみ、1年間の貧乏旅行先では、「もうこのまま死んだ方が身のためだ」なんて考えていた。キラキラした世界一周旅行などとはまるで違う。物価が安いという理由だけで東南アジアに沈み、1泊500円ほどの安宿で天井のシミを見つめていただけだ。そして結局就職もできず、西成のタコ部屋でバカ扱いされている。終わっている。またユンボ(油圧ショベル)のアタッチメントの交換に手こずり、遠藤さんが運転席から飛び降りてきた。

「お前何をやってるんや。さっき説明したばかりやないか。何回言えば分かるねん」

「すいません、順序を忘れてしまいました。もう一度教えてください」

 私はそうやって頭を下げるしかなかった。

筆者が作業した解体工事現場(筆者提供)

「兄ちゃんいま大学生かなんかか? というかお前学校出てるんか?」

 私は言葉に詰まった。正直に言ったところで信じてもらえるとは到底思えない。しかし中卒ですとウソをつく勇気はなかった。

「先月、大学を卒業したばかりです」

「どこや?」

「筑波大学です」

 自分でも何を言っているのだろうと思った。過激な共産主義に傾倒でもしていない限り、筑波大学を出た奴が西成の飯場に入ってくるはずがない。

「筑波大学? 兄ちゃんなんでこんなところにおるねん? そんな学校出てるならいくらでも働くところあるやろ。もったいないわ。俺なんてこのポジションに来るだけで10年以上かかってるんやで。でも兄ちゃんはここにいる人間たちを使うような人や。こんな仕事するような人間じゃないやろ。いつまでこんなところにいるつもりや?」