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「茂さんを洗ってあげていると思えばいい!」 中国人“毒婦”・詩織が風俗嬢デビューしたワケ

『中国人「毒婦」の告白』#17

2021/01/07
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これまでの経緯

 ここで整理の意味も含めて逮捕までの簡単な「詩織年表」をまとめておこう。

72年8月 中国黒龍江省で5人兄弟の3女として生まれる

93年10月 花嫁を求めて黒龍江省方正に来た茂と見合い。婚約

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94年9月 結婚のため、来日

95年12月 火事で母屋焼失、同時に殺害された茂の両親の遺体発見

97年4月 長男誕生

98年11月 2男誕生

01年11月 自動車学校。不倫

02年5月 2人の息子とともに中国に帰国。国際結婚斡旋業

夏 不倫終わる

03年4月 帰化。秋子から詩織に改名

10月18日 茂、熱湯で5ヶ月の火傷

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12月 インスリンを調達した大川受刑者と病院で遭遇

04年4月1日~2日 インスリン注射。茂、植物状態で入院

1000万円整形疑惑

風俗で働くことは“運命”

 詩織は働く場所を探した。収入などいくつかのハードルを考えると選択肢はホステスか風俗嬢しかなかった。

 ただホステスは、笑顔が必要だと考えた。特に甘い笑顔が。しかし詩織の現在の心境では甘い笑顔など浮かべることが出来ない。もし出来たとしても苦いつくり笑いと、あげくに泣くことだけだろう。そんな表情を見せたら客が逃げていってしまう。

 それに比べ風俗業なら、なんとかこなせるだろう。客は会話や笑顔を求めてくるのではなく、欲望を解消しにくるのだ。一生懸命サービスすれば少しぐらい悲しい顔をしていてもごまかせるだろう。詩織はそう考えた。また住み込みで働けるというのも好都合だった。住み込みなら無駄な出費もしなくてすむし、金銭的見返りも大きい。

 風俗で働こうと結論づける前に一時は、ホームレスになることもふと考えたという。しかし、その考えはスグに捨てた。その理由は、2人の息子の顔が頭に浮かんだからでもあるが、現実には、中国の家族も、日本の家族もすべて破綻してしまうからだ。ここでも詩織は“運命”と思い定めた。

 05年4月、茂がインスリン注射で植物状態になってから既に1年が過ぎていた。

 夫、茂の目を盗んで働いたバイト時代に何度か訪れたとはいえ、ほとんど未知の街、東京浅草。今回は何の当てもない。

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 そんな街中でふと求人の看板を見た詩織は、吸い込まれるようにある店を訪れていた。浅草の中心街からはずれた古い飲食店街のマンションの一室にあった、いわゆる性感マッサージ店だ。しかし一方で捜査関係者によると、当時詩織はすでに風俗嬢として働いていた妹と同じ店に務めたという説もある。

 ここで詩織はママといわれる人の手ほどきを受け、風俗嬢として本格的に働き始める。

 ところで詩織は風俗で働いたことは認めているが、肉体を提供したとは告白していない。この浅草の店など、あきらかに阿吽の呼吸でそうした行為が行われていた筈なのだが、けしてそうだ、とは言っていない。

さらに風俗嬢としてかなりのお金を稼げるようになると、「1000万円をかけて整形手術した」という話が、逮捕後、駆けめぐり、実際に報道もされた。面会時、詩織にその事を尋ねると、ポッと顔を赤らめ、「よく言うわ……」と下を向いた。こうしたことは詩織の女性としての最後の矜持なのだろうか。

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