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英雄気取り

 実際に、そんな井上の勧誘にほだされて、教団に入信していった信者も少なくなかったようだ。後に地下鉄にサリンを撒くことになる豊田の出家も、麻原に勧められたあとを受けて、井上が説得して実現したものだった。井上の背後に「オーラを見た」という信徒だっているくらいだ。

 一連の裁判でも、井上が地下鉄サリン事件について証言したのを受けて、麻原が「反対尋問をやめてくれ」と発言しだして、法廷を混乱させたことからも、その爆発力と、教団での地位を窺い知ることはできた。

 検察にとっても便利な存在で、傍聴席から見ていても、年相応に思えないほどに逞しく、痛快に思えたものだった。

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 いわば、麻原退治と教団糾弾の急先鋒として、期待の星でもあった。

 ところが、そんな金メッキも、時間と場数を踏むにつれて剥げ落ちていく。

 どうやら、彼は、正義を振りかざす自分に酔っているだけではないのか──。

 どこか英雄気取りのかっこうをつけているのではないか──。

 そんな印象に変わっていった。

 地下鉄実行犯の態度と照らし合わせれば、それが浮き彫りになる。

 井上は、実行犯の法廷でも事件について証言する。しかし、それは当事者としての証言ではなく、事件を糾弾する第三者のような姿勢だった。首謀者の麻原を追い詰める法廷でなら、それでも良かったのかもしれない。ところが、実行犯たちは、口を揃えて井上が主導的に指示を伝え、時として強い口調で窘められたとも証言している。それを井上は否定し、自分は「現場指揮者」ではないと主張する。積極的になんて行動してない。言われたことを伝えただけ。教祖の指示に従っただけ。実際に犯行を犯したのは実行役。それを手伝っただけ。ぼくはやっていない。悪くない──。全てが天井から目線の、当事者意識に欠けている。そんなふうに聴こえてくると、「松本智津夫氏と対決する」という言葉といっしょであったはずの「反省」の文字が、とても空虚なものに見えてくるのだった。