昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

夫は身勝手なセックスを要求するように…中国人毒婦と夫殺し共犯との戦慄の“出会い”

『中国人「毒婦」の告白』#13

2020/12/24

 2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織が、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂に、インスリン製剤を大量投与するなどして、植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『中国人「毒婦」の告白』から抜粋して紹介する。(全2回の1回目)

◆◆◆

「私も2人の子どもを連れて、暖かく美しい世界に行きたい!」

 手記を見るかぎり、火傷をきっかけに、詩織の心の中に、茂への、いくばくかの愛情が芽生える気配があった。

 しかし、それも、さほど長続きはしなかったようだ。日がたつにつれ、再び2人の間に、隙間風が吹き始める。

〈茂さんが退院しました。今回茂さんが火傷をしたことで、それまで疎遠だった親戚同士が再び連絡を取り合うようになったのは良い事だと思っていました。でも、この人たちは、また財産をめぐる話を始めたのです。それも茂さんがまだ、集中治療室にいる間に、火事で死んだ両親の財産をどう分けようかの相談をしていたのです。本当にうんざりでした。こんな親戚と今後どのように付き合っていくかを考えると頭が痛くなります。

©iStock.com

 今日また茂さんを連れて病院に診察にきました。診察の間、ひとりぶらぶらと病院の中を歩きました。日本で生活した長い日々と、病院で茂さんを看病した日々を思いだしました。茂さんが入院している間は、ほかの付き添いの人たちと他愛もない雑談で笑い合い、あの嫌な性生活も無い、ゆったりした日々でした。私はそうした中で、次第に昔の自分に戻って行くのを感じました。

 病院生活でこうした気分になれたのは予想外のことでした。明るく、愛想が良く、よく笑うお嫁さん。それが病院で茂さんの看病をしていた時の私の評価です。でも、それが私の本当の姿で、住まいのある小田部での私は生来の私ではありません。

 病院の庭先で、2、3人の子どもたちが笑いながら戯れ合い、そっと近づいたお母さんが、後ろから「少しうるさいですよ」と怒った振りをします。なんと睦まじく、おだやかな一家の光景なのでしょう。この世界では日光はこんなに暖かくきらきらと煌き、人生は素晴らしいのだよ、と教えてくれています。でも、私たちは、それをまったく享受してこられませんでした。茂さんのせい? 私のせい? それとも、あの暗い小田部のせい? 暖かい太陽に包まれて、そう考えているうちに、心の中に、むくむくと新しい希望が湧いてきました。

©iStock.com

「私も2人の子どもを連れて、暖かく美しい世界に行きたい! かならず行きたい。でもどうやったら行けるのですか?」

 本気で考え始めたら夢中になり、私はまるで麻薬中毒患者のようになっていました。〉