1ページ目から読む
4/4ページ目

「共犯者」との出会い

 頑なな夫と戦い、離婚を成立させ、さらに、子どもの親権をも勝ち取るには、どうしたらいいか。詩織は、小さな体の全神経、全知能を傾け、その手段を考えはじめていた。いままでのように、単にメソメソと泣いてばかりはいられない。それは母親となったことによる強さもあっただろうが、もともと愛ではなく豊かさを求めて単身異国に嫁いで来た女である。

 そうした折、彼女の運命を左右する人物と出会う。インスリン投与による殺人未遂事件で、共犯とされ、懲役8年の実刑判決を一審、控訴審で受けた大川久美子(逮捕当時41)である。

 久美子の夫は当時、茂が火傷で運びこまれた病院に糖尿病で入院していた。

ADVERTISEMENT

 詩織が久美子と知り合うきっかけは、髪がかすかに濡れていた久美子に詩織がドライヤーを貸してあげると申し出たことによる。以来、挨拶をかわすようになり、2人ともタバコを吸うことから喫煙所で親しく雑談を交わすようになる。

©iStock.com

 やがて2人は、互いの家庭環境の深い事情まで語り合うほどの親しい関係になっていった。詩織は、久美子に、夫、茂への不満や、中国にいる子どもたちへの心配事をこぼした。すると久美子も、自分も子どもができる前はケンカばかりしていたけれど、子どもが3人になり、今は子どもたちのために頑張っているという話をした。こうした同じような境遇が、2人の信頼関係をさらに深めた。また時には「探検」と称して、深夜、病院内を徘徊し、職員や医師に怪しまれたり叱られたりしたが、そんな時、2人は少女に返ったように笑いあった。そして、その後、決まって互いの身の上話となり、ともに泣いたという。

 こうした久美子との親しい関係は茂が退院した後も続いた。一方、茂との離婚話、子どもの親権問題は、ますます深刻な様相を帯びてきた。そして、時に、詩織は幻覚にとらわれるようになる。

 ある日には、中国に子どもたちがいるにもかかわらず、幼稚園の送迎バス停留所に走って迎えに行ったこともある。精神錯乱寸前にまで陥っていたのだ。正気に戻り、それが間違いだと気づくと、今度は国際電話をかけ、子ども達の声を聞いて、さめざめと泣いた。離婚、親権問題が重くのしかかり、詩織が極端に心のバランスを喪っていくのは、この頃からといえよう。

中国人「毒婦」の告白

田村 建雄

文藝春秋

2011年4月20日 発売