2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織が、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂に、インスリン製剤を大量投与するなどして、植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『中国人「毒婦」の告白』から抜粋して紹介する。(全2回の2回目。#1を読む)
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「人の体を弱らせるクスリはないかしら」
〈夫が病院に再診しに行くついでに久美子さんの病室に寄りました。久美子さんは、ご主人に「タバコ吸ってくる」と言って、私と一緒に喫煙所に向かいました。彼女は私の様子が変なのに気づき、「どうしたの、何があったの、詩織ちゃん、今日は暗いよ」と優しく声をかけてくれました。
私は彼女に、小さな声でおずおずと尋ねました。
「離婚したいのだけれど、夫はどうしても子どもの親権をゆずらないというの。何か……人の体を弱らせるクスリはないかしら」
久美子さんは一瞬ギョッと驚いたような顔をしましたが、すぐに、普段の笑顔になってサラリとこういいました。
「クスリは病気を治すもの。だから、体にいいものしかないのよ」
私はぼんやり話を聞いていたのですが、「クスリは病気を治すもの」という言葉が印象に残り自分で自分を可笑しく感じました。人間は追い詰められるとなんて馬鹿な考えをし、おかしな事を口走るのでしょう。少しばかり冷静になった私は慌てて話題を変えました。〉
もちろん、詩織は、この時点でインスリン投与という具体的な方法にまで考えは至っていない。しかし、「夫の体を弱らせるクスリはないか」という意識は顕在化しつつあったのだ。
その時期を公判で詩織は「夫が退院した(04年1月8日)直後の1月中に、ふとそんな考えになりました」と供述している。ぼんやりとはしているが、この辺が犯行に至る起点と考えていいだろう。
詩織は、自分が中国から子どもを連れ帰るにしても連れ帰らないにしても、離婚すれば茂に奪われてしまうという強迫観念から逃れられずにいた。夫には親戚も多いし、日本の法律やいろんなことに通じている。息子たちを奪われないためには「夫の身体を弱らせ養育できないようにするしかない」という考えに捕われるようになっていたのだ。