子どもを奪われてしまうという強迫観念から
控訴審公判(07年8月1日)で弁護人から、「どうしてクスリを打とうというような発想になったのか」と尋ねられた詩織は「なかなか離婚してもらえず、親権を取られると悩んでいて、一生子ども達に会わせないといわれたからだ」と答えている。
さらに「茂さんを入院させてどうしようと思ったのですか」という問いには「どうしようという気はなかった。それで離婚しようと思った」と答えた。
「離婚なら、誰か弁護士などに法律的な相談をするとか違う方法を考えなかったのか」という問いには「そういうことを教えてくれる人が私のまわりに誰もいなかった」といい、自分にも、そうした知識がなかったと答えている。いずれにしろ、子どもの親権、さらには子どもを隠されてしまうのではないかという強迫観念が詩織を常軌を逸した行動へと駆り立ててゆく。
〈男が持つべきもの。それは責任感、プライド、度量、信頼感、そして頼りがいです。「いい男」とは、自分の愛する人を幸福にし、その人の誇りとなる人間だと思います。私の、こんな意見を聞くと「あなたは男に対しての要求が高すぎて、うんざりだよ」と言われそうですが、本当は茂さんに、その中のひとつでもあれば十分だったのです。〉
茂の中に、詩織が求める男性像が皆無だったとは必ずしもいえないだろう。唯、長年鬱積された憎悪が、それを覆い隠していただけの話なのかもしれない。
「久美子さんがいうクスリを私は万能薬だと思いました」
〈子どもたちの親権についても限界に達しました。私は、再び久美子さんに、こう尋ねました。
「どうすれば、体を弱らせることができるのですか。そんなクスリはありませんか」〉
のちに詩織は私にこうも語っている。
「あのときの、私は、それしか考えられませんでした。私には、それ以外の道は、何も見えなかったのです」
久美子は、再三にわたる詩織の執拗な要求に、ついにこう答える。
「探してみる。ある種のクスリは、使用量によっては、体を弱らせることができると思う。眩暈がし、手足の力がなくなって痺れがくる。そうなったら点滴などの治療が必要で、病院に入院しなきゃ回復しないわ」
久美子から聞いたときの心境を詩織は私にこう説明している。
「久美子さんがいうクスリを私は万能薬だと思いました。茂さんが、そのクスリを飲んで病院で点滴治療を受けている時に、離婚を切りだせば、きっと反論する気力もなくなるに違いないと思ったのです」