「読んだ?」「読んだ、読んだ、バカだよね」「バカ、クズ。基本、上から目線だしさ」「ほんと、男ってああいうところあるよね。幾つになっても自分が女を選ぶ側だと思ってんの」
この本を読んだ女友達と会うなり、こんな調子ではじまった。私たちはしばらく物語の主人公である薄井という男の愚かさを指摘し、その転落ぶりを笑った。あたかも、この本にでてくる辛辣な女たちのように。
薄井は六十歳を手前にした元大手銀行員。現在は一部上場した企業に出向しており、ひとまわり下の愛人もいて、余裕のある暮らしぶりをしている。社内でのささやかな野心もあり、長男夫婦と都内に二世帯住宅をもうける計画をたてている。性的な自信もまだ維持している。薄井はほどほどに恵まれている。その恵みを一滴もこぼすことなく老後を迎えられると信じている。そこに長峰という夢で宣託をする女が現れ、会社と家庭の両方の雲行きが怪しくなっていく。
薄井ははっきり言って鼻につく男だ。小心者でコロコロと寝返るくせに、自分より弱い者の前では大きくでて、思い通りにいかないと腹をたてる。十年来の愛人に「女房は既得権があるから」などと言う。それに女たちが腹をたてる理由を理解できない鈍感さがあるのに、自分は賢いと思っている。その薄井の目論見が面白いように崩れていく。薄井の周りの女たちの容赦のなさも痛快だ。ページをめくるのが止まらなくなり、自分は他人の不幸が大好きなのだと気付かされる。
七つの章にはそれぞれ動物絡みの題名がついている。そのせいか、人間模様が鳥獣戯画のように見えてくる。猿が蛙を祀るがごとく、薄井の妻は長峰という怪しい夢占い師に傾倒し、薄井も巻き込まれていく。この長峰が不気味だ。なんでも夢で言い当て、他人の人生に侵食してくる。
読み終えた時、長峰は人の罪悪感を操っているのではないかと思った。でてくる登場人物はみんな少なからず後ろ暗いものを抱えている。その報いを恐れながら生きている。だから、長峰の言葉に惑わされる。
動物好きな私が唯一嫌いな生き物は猿だ。人間が理性で隠している欲や汚さが剥きだしになった獣のように見える。けれど、猿山を眺めていると目が離せなくなる。桐野夏生さんの小説を読むと、いつもこの感覚を思いだす。嫌だと感じるのは、自分の中に似たようなものを見出すからだ。
散々、薄井を罵った後に友人は言った。「でもさ、ここまで愚かだとなんか憎めないんだよね」その言葉にかすかに安堵した。