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『天気の子』帆高の「あの言葉」が脚本から消えた理由

2021/01/03
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語られない「帆高が家出をした理由」

 そもそも帆高がなぜ家出をしたかについて、本編中では詳しくは語られない。新海監督はそれについて様々なインタビューで「トラウマで駆動する物語にしたくなかった」と説明している。

新海誠監督 ©️文藝春秋

 例えば帆高がなにかトラブルを抱えていて、それで家出をしていたというふうに具体的に描写をしたとすると、自動的に帆高とそのトラブルの関係が物語のセンターに入ってくる。

 そうすると3人の無垢な世界も「トラブルを癒やすもの」だったり「自分に欠けているものを補うもの」としての意味を帯びてしまい、無垢ではなくなってしまう。ただただ純粋に肩を寄せ合う子供たちを描くには、そうした背景はむしろノイズなのだ。

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「子供とはいえない」が「無力」な“16歳の少年の物語”

 帆高が東京に出てきた心境を察することができる描写のひとつに、彼が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を持っているというものがある。漫画喫茶でカップ麺の蓋を押さえ付けていたあの本だ。

『天気の子』劇中にも登場した
キャッチャー・イン・ザ・ライ

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、1950年代のニューヨークを舞台にした、世間となかなか折り合いをつけることのできない16歳(つまり帆高と同い年)の少年ホールデンの物語である。帆高は、ホールデンほど社会を偽物だと憤ってはいないが、そういう本を家出の時にわざわざ持ってくるぐらいの心境ではあったのだろうと想像ができる。

 そしてこのホールデンという人物を理解するのにも「無垢」というキーワードが重要な役割を果たしている。同書を翻訳した小説家の村上春樹はホールデンについてこう語る。

「つまり主人公であるホールデンは、少年時代のイノセンスからは既にしりぞけられた存在でありながら、大人の世界に入るための資格も得られないでいます。部分的にはすごく早熟で、視点もクリアなんだけど、自分自身の客体化というのはまだなされていない。それは十六歳という設定だからできることでもあります。十八歳くらいになってくると、今度は自分自身が既に脅威になっていくという部分が大きいから。そういう事実を自分自身で認めていかなくちゃいけないわけですよね」(村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(文春新書))

 この村上春樹の指摘は、ホールデンを経由して、そのまま帆高に、そして陽菜にも当てはまる。