作家の花房観音さんは官能小説も書くこともあって、「飲み会に行くと知らないオッサンから『小説で書いたことって体験?』って何回も聞かれる」のだという。「女である自分が性欲を持つこと」に罪悪感を感じていた学生時代から、“性にまつわる視線”とどう向き合ってきたのか。「売春島」こと三重県志摩市に存在する渡鹿野島(わたかのじま)を舞台に、体を売っていた4人の女性と、同じく島で娼婦だった母を持つ息子たちを描いた『うかれ女島』(新潮社)を上梓した花房さんに、話を聞いた。(全2回中の2回目。前編を読む)

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 女の友人にオナニーの話をしたら、「あたしはぜっったい、しないけど」と、強めに宣言され、小鼻を膨らませたその表情にモヤっとした。また、最近、筆者(37歳・女)はミレーナという避妊具を装着したのだが、その話をするとき、「避妊具だけど生理痛が楽になるからさっ」と、必死に避妊目的ではないとアピールしてしまう自分にモヤモヤした。

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 なぜこんなにも女(私)は、真正面から「セックスしたい」と言えないのだろう。

2015年当時の渡鹿野島(花房観音さん提供)

《男が欲しかった、私は。いつでも、男を必要としていた。セックスは男とつながる一番簡単で確かな手段で、だから、私はセックスしか信じない。あとひとつだけ言っておくと、本当は身体なんか売ってない。私の身体は私だけのもの。セックスというサービスの対価を得ていただけで、私は身体も心も売ってはいないーー私は穢れてなんか、いない》

(花房観音『うかれ女島』(新潮文庫)/以降、引用は同書より)

 花房観音さんの『うかれ女島』には、忍という43歳の娼婦が出てくる。彼女はお金のためでなく、娼婦を続けていた。「男の肉の棒」を愛し、男とセックスすることで女であることを確かめたいから、である。

「性欲のある自分は頭がおかしいんじゃないか」と思っていた

 セックスに対して口ごもってしまう自分にとって忍は、規範から解き放たれた眩しい存在として映ったが、花房さんも長らく、「女である自分が性欲を持つこと」に罪悪感を感じていたという。

花房観音さん ©文藝春秋/釜谷洋史

「学生時代、女友だちが『彼がしたいって言うから』『ほんとはフェラとか抵抗あったんだけど、彼がどうしてもって』と、やたらと受け身なセックスをしていることに違和感がありました。私が通っていた女子大は確かに真面目な学生が多かったけど、それにしたって、そんな皆いやいやセックスしてんの? と、本当に不思議に思いました。

©文藝春秋/釜谷洋史

 自分はそのとき処女でしたけどセックスに興味津々で、こっそりエロビデオも観ていました。だから周りとの違いに悩んで、こんなにセックスに興味があり、性欲のある自分は頭がおかしいんじゃないかと、ずーっと思っていたんです。自分は異常だから、結婚も恋愛もできないだろうとも」