大切な「せんせい」とのことを書いた
それでもさまざまな機会に、絵を始めた理由を問われることがあった。実際のきっかけをもたらしたのは、小林さんが「せんせい」と呼ぶ大切な人との出会いだった。その出会いは小林さんにとって、たいへん繊細かつ重要なものであり、自分の絵の起点となった「せんせい」についてだけは、きちんと言葉にして残しておこうと考えたのだった。
「『せんせい』は俺が10代のとき、みずからモデルになって俺に絵を描かせた。先生のことだけは、ちゃんと書いておきたかった。それでその瞬間に起こってたことを全て! もちろん話を盛ったりも一切せずに、書いてみたんだよ。
先生との出会いから俺の絵は始まっていくから、その『はじまり』を書いたことでどんどん話がつながっていき、止まらなくなったんだ。
学校を出て国立にアトリエを借りて描いていたころのこと、ギャラリーで展覧会をやるようになったこと、キュレーターのヤン・フートに呼ばれて制作拠点をベルギーのゲントに移してからのこと……。そこまで書き進めて小説の上巻と中巻ができた……」
絵画に取り憑かれたひとりの人間、そして絵画そのものについて
三部作を成す長大な小説は、まだ執筆の途上ながら、ひとりの人間が成長していく「ビルドゥングスロマン」として見事な出来映えを示す。青年が絵に打ち込み邁進し、大人になっていくストーリーは起伏に富んでがっちりと読み応えがある。絵画表現を通して自己の感覚を実現せんとするアーティストによる芸術論として読んでも、実践に裏打ちされた思想の強固さに唸らされる。
「そうだね、これは自伝的な小説だけど、絵画に取り憑かれたひとりの人間のことと、絵画そのものについてのみ書いてある書物なんだ。自分の絵について自分の真実を書くとしたら、こういう形=小説、ビルドゥングスロマンの形をとるしかなかった。『続き』があるから本当のことが書ける。
俺はこの本を、絵を描くときと変わらない気持ちで書いていったよ。『この星』にひとつの新しい物語を生み出すとしたら、どんなものにすればいい? ポケットに入れて持ち歩ける……長い物語……笑、それだけを必死に考えていたんだ。世の中にこういう書き物があるのも、おもしろいだろう?」
『この星の絵の具』を手に取り読むことは、小林作品と直に対峙するのと同じような、深くて濃いアート体験になるはずだ。
(撮影:北沢美樹)