超進学校ほど大学入試改革の趣旨を先取り
私の記憶では、大学入試改革の雲行きが怪しくなってきたのは2015年の年末あたりからだった。新テストのサンプル問題が発表されるやさまざまな疑問が呈された。さらにそのころから、高校によって大学入試改革へのスタンスがはっきり二極化したというのが私の印象である。
英語民間試験や記述式問題の導入への対応を前面に打ち出す学校と、「なーんだ、この程度の変更なら、いままで通りにやっていればいい」と構える学校だ。にべもないことをいってしまえば、超進学校としての地位を確立している学校は後者であり、進学実績を伸ばすことに一生懸命な学校ほど前者になる。
当然ながら、前者の学校ほど今回の改革には結果的に振り回された。2013年に大学入試改革の大風呂敷が広げられたときには、「これで開成や灘などが現在の地位を保てなくなる」と言うひとたちもいたが、常に現場を見ていた私からすればナンセンスな指摘だった。こういう学校ほど時代を先取りしていたからだ。
なぜそうなるのか。理由は単純である。華々しい大学進学実績が出ているからこそ学校として余裕がある。その分、目の前のテストの点数を上げることではなく、もっと長い時間的視野での教育に力を割くことができる。最難関大学合格者数ランキングで上位にある学校ほど、教育的「余白」が大きい。
その「余白」を利用して、大学受験勉強の範囲に留まらない探究的学習にも未来の社会を見据えた先進的な教育プログラムにも取り組むことができる。「お上」の「お達し」を待つまでもなく、現場の教員たちが主体的に常に半歩先行く教育を実践しているのだ。その様子を私は新刊『超進学校トップ10名物対決』に著した。
2021年4月から中学校で、2022年度からは高校で、新学習指導要領が実施されるが、拙著を見ていただければ、その趣旨すら先取りした教育がすでに行われていることがわかるはずだ。印象的なエピソードをいくつか紹介しよう。