このふたつの企画は並行して進められ、96年11月には、97年春にTV版の総集編とリメイクした第二五話・第二六話をセットにした完結編『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』を、さらに同年夏に完全新作の「劇場版」を公開すると発表されている。
しかし予定の期日に間に合わず(今となっては「例によって」なのだが)、97年2月14日に緊急記者会見を開いて、庵野監督が謝罪。その際、春にはTV版第壱話~第弐拾四話に一部新映像を交えて再編成した『DEATH』編と製作途中の『REBIRTH』編の一部を公開し、夏には完全版『REBIRTH』編たる『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を公開すると告知された。
こうして97年3月15日に公開されたのが『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』だった。『DEATH』編は単純な総集編ではなく、時系列によらない独特な詩的センスで編集されており、TV版の筋を把握していなければ理解不能だった。
「劇場版」の製作が期日に間に合わないこと自体、プロの仕事としては問題だが、出来上がった作品も尋常ではなかった。ふつう、こういう作品をプロは作らない。また庵野監督の姿勢は“芸術家”のそれとも違っていた。それはきわめて趣味的・オタク的な、独りよがりを貫いた表現だった。趣味に命をかける人生もあるのである。
『進撃の巨人』に似ていた「完全新作版」
実現しなかった「完全新作版」は、どんなものになるはずだったのだろう。これは2時間映画として『エヴァ』を作り直すという企画だったが、21世紀に入ってから公開された「新劇場版」とはまた別のプロットだった。その基本設定は、後の『進撃の巨人』にそっくりなものだったという。
その世界では、街はA.T.フィールドに守られており、外界とは大きな橋一本だけでつながっている。そこに使徒が襲ってくる。しかもその使徒は人を食うのだ。