義兄に連絡が取れる!
私はバッグから詩織関係のメモノートを取り出し改めてじっくりと見直した。そんな私を、中川は、適当にあきらめてハルピンの観光でもしてくれば、とばかりに、ふて腐れ気味に見ていた。3人の間に重い沈黙が流れ、私が成田空港で詩織の子どもたちへのお土産として購入した、寿司の巻物やトロの形をした消しゴムも無駄になってしまうのか、と考えていた時だ。
“詩織の兄”と書いた項目の片隅に、数字の羅列があるのに気づいた。
1307457××××
私は叫ぶようにこう言った。
「そうだ、義理のお兄さんの携帯番号を、日本を立つ直前、彼女から聞いていたのを、慌しい中ですっかり忘れていた!」
中川と王の顔色がパッと明るくなり、王が素早くこう応じた。
「電話しましょう」
すかさず自分の携帯電話を取り出し義兄・何兆全の電話番号を押した。しかし、うまく通じない。そこで王は、今度はハルピンで私をコーディネートする予定の馬(仮名)に電話をする。相手が出たようで、しばらく中国語でのやりとりが続く。電話を切ると王は、
「ハルピンの馬さんが連絡をとってスグ折り返し連絡をくれます」と言う。
ほどなく王の携帯電話が鳴った。
「OKです。何さんと連絡がとれ、生まれ故郷のほうもだいたいどのあたりか分かりました。田村先生がハルピンに着くのは朝の9時半ですから、先に彼女の故郷の方へ行って、夜、五常市という所を訪ねてくれれば、義兄の何さんも仕事が終わって、ゆっくりと会えるとのことです。何さんは田村先生からの連絡を待っていたようです」
少し光が見えてきた。
黒龍江省方正県へ
その日の午後、中川とともに北京での用事を片付けた私は、市内見学をすることもなく夜はハルピン行きに備えた。
翌9月16日午前7時30分発のCA1603便に乗るため、早朝5時に宿泊先の新北緯飯店を出た。北京の空港までは渋滞もあるので1時間余かかるという。
早朝5時の北京は9月も半ばを過ぎたというのに蒸し暑く、空はガスともスモッグともつかぬ灰色めいたものに覆われどんよりしている。しかも、いたる所、工事中で道路脇の高層ビル群は空の彼方に霞んでいる。渋滞もひどい。空港に続く高速道路も車で溢れ、空気が耐え難いほどいがらっぽい。いまでもあの街でオリンピックが開かれたと思うと、マラソン選手など、よくあの空気の中、走れたものだと感心する。そうこうするうち渋滞に遭いながらも空港には出発1時間前に着いた。