「パーティーを開いているつもりはなかった」
さらにその翌日、本田は自身が運営する音声配信サービス「NOWVOICE」で、「僕がボタフォゴを出るときに開いた会で問題になっているみたいなニュースを見たんで」と前置きすると、状況を説明した。
「最後にお別れの挨拶をしたいと思い、僕が皆を招待した」
「(12月29日か30日の)練習の終わりのランチの時間に開いた」
「そもそもパーティーを開いているつもりは全くなかった」
「(参加したのは)スタッフが10人くらい、選手が10人弱で合計20人いないくらい」
「(日本ではコロナ禍の中で、という批判があるようだが、ブラジルの)現地の感覚としては、何の問題もない。ただ、実際に沢山の人が感染にかかって死んでいるという事実が存在しているのは間違いないわけで、それで気を悪くした人がいるんやったら『ほんと、申し訳ない』と言うしかない」
そして、「(ブラジルで批判されているのは)チームの状況が悪い。僕自身が思ったような結果が出せなかった。で、結果的に僕はチームを離れていったから」と批判の理由を理解する一方で、「(この会を開いたことへの)後悔は全然ない」、「唯一の後悔は、僕がダンスをする映像が流れるんやったら、もっと練習してうまく踊れたら良かったということくらいかな」と冗談交じりに開き直った。
ブラジルのフットボール文化を理解できていなかった
ただ、たとえ時間帯が“ランチ”であろうと、バンドを入れて薄暗い室内で皆が踊り、アルコール(らしき飲料)とタバコを嗜む者がいながら「パーティーではない」と言うのは無理があるのではないか。
また、ファンが本田に対して最も怒っているのは自身のプレーとリーダーシップでチームの成績を上げることができなかったことに加え、危機的状況にあるチームを見捨てて退団した点にある。
結果論ではなく、本田はこのような会を開くべきではなかった。もし明るみに出たら、本田自身が火だるまになるのみならず、参加した選手まで批判されるのは明白だったからだ。
ブラジルに10カ月滞在していながら、本田と彼のスタッフはブラジルのフットボール文化を全く理解できていなかったと言わざるをえない。
2020年2月初め、本田は東京五輪にオーバーエージ枠で出場するためのアピールの場として、リオの古豪ボタフォゴを選んだ。入団会見では、「この数年、ボタフォゴがいいシーズンを過ごせていないとしたら、それは僕個人にとってもボタフォゴにとってもチャンス」、「これまで自分が経験したことを、全部、このクラブに置いていく」と熱く語り、地元メディアとファンから喝采で迎えられた。
キャプテンに指名され、チームメイトを鼓舞し、自らミドルシュートを叩き込んでチームを勝利に導いたこともあった。しかし、クラブが財政難で給料を遅配して選手の意欲を損ねたり、目先の結果に右往左往して監督の首を何度も挿げ替えるといった外部要因も重なり、チームは転落を始める。昨年末の時点で、20チーム中19位の降格圏に沈んだ。