熾烈な攻撃で学会員にトラウマ
繰り返しになるが、憲法で定められているのは、政教分離というよりも国家が特定の宗教教団を忌避したり優遇したりすることがないように定めた国教分離なのである。宗教団体が政治に関与するという意味での政教は分離されていないのだ。創価学会以外にも、神社本庁、立正佼成会、真如苑などさまざまな宗教団体が特定の候補者を支援している。内閣法制局の解釈変更で、現在の政教分離に関する解釈を変更することは不可能だというのが筆者の見解だ。
もっとも1969年に政治評論家・藤原弘達の著書『創価学会を斬る』(日新報道)をめぐって生じた「言論問題」以降、創価学会も公明党も政教分離を過剰に意識するようになった。この出来事以降、創価学会の会合で、公明党について言及することがなくなり、公明党の会合でも創価学会や池田大作創価学会第3代会長に直接言及することが自己規制された。創価学会員が公明党の選挙活動を行っているのは事実なのに、それについて言及することを差し控えるようになったのは、言論問題によるマスコミと一部政党の創価学会と公明党に対する攻撃が熾烈であったために、創価学会員に強いトラウマ(心的外傷)ができてしまったからと筆者は見ている。
「行き過ぎた政教分離」を是正しようとする公明党
筆者は、以前より、「行き過ぎた政教分離」を克服することが創価学会と公明党にとって重要な課題であると指摘してきた。特に14年10月に上梓した『a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00QTIR58W?tag=bunshun_online-22" target="_blank">創価学会と平和主義』(朝日新書)でそのことを具体的に強調した。創価学会にとって平和主義は基本的価値観で絶対に譲ることができない。この価値観を公明党が共有しているということを理解しないと、集団的自衛権に対する公明党の立場が正しく理解できないと考えたからだ。
14年11月に公明党は、行き過ぎた政教分離の是正に静かに取り組み始めた。結党50周年を記念して上梓された党史の序文に山口那津男公明党代表はこう記している。
公明党は1964(昭和39)年11月17日に、池田大作創価学会会長(当時)の発意によって結成された。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」(池田大作公明党創立者)の指針のもとで、大衆福祉の実現をめざして、活発に活動を展開し、2014(平成26)年11月17日、結党50年の佳節を迎えた
(公明党史編纂委員会『大衆とともに――公明党50年の歩み 増訂版』公明党機関紙委員会、2019年、10ページ)
この本の冒頭にグラビア写真が収録されている。1ページ目は、推定樹齢200年の秋田杉で、2ページ目が演説する池田の写真だ。そこにはこんなキャプションがつけられている。
池田大作公明党創立者(創価学会会長=当時)
1962年(昭和37年)9月13日の公明政治連盟(公政連)第1回全国大会(東京・豊島公会堂)で、創立者である池田会長はあいさつのなかで、公明議員の在り方として、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との指針を示された。その池田会長の言葉は、2年後の公明党結党に際し、党の根本指針として党綱領に明記された