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初めての共演

 初めて共演した日、この昔話を本人にどこかで打ち明けたかったが、言い出す機会を見つけられなかった。そして、今、みのもんたは次の現場へと向かおうとしている。

「みのさんッ!!」

 楽屋横の廊下を歩く、みのもんたを呼び止めた。

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「実はボク、17年前、浅草のフランス座で呼び込みをしていたんです……」

「……」

 立ち止まるみのもんた。

 その姿は1986年の浅草と同じだった。

「当時、みのさんがテレビ東京の演芸番組の司会をされていて、浅草演芸ホールに入る前にボクらが挨拶すると立ち止まって声をかけてもらってたんです」

「……」

 黒い木彫りのギズモのような顔が怪訝そうにボクを見つめ返す、あの眼だ。

「今日、テレビで初めてみのさんと共演できて光栄でした!」

「……ああ!!」

「ファイナルアンサー?」の後の長い長いタメから「セーカイッ!」と晴れ渡る、あの皺深い笑顔を浮かべ、

「……先に言ってよぉお~。それは俺も嬉しいなぁ~。今日は記念日だね!」

 とボクの手を取り、ぎゅっと握手をしてきた。

 ボクが握り返すと、すぐに手を離し「じゃあ!」と足早に駆け出した。

 静と動、怒気と陽気、無言と多弁。

 変幻自在のヴォイスで、みのもんたは人の心を鷲づかみにする。

©iStock.com

 あの日から早10年が経った。

 今や、みのもんたスキャンダルは収まりつかず、マスコミによる包囲網が張り巡らされている。

 なかでも、この『週刊文春』こそが、みのもんた批判の急先鋒、水と油、とことん水が合わない関係である。毎週、みのもんたの新旧の醜聞を握り、晒し、罵声を呼び込むキャンペーンが続いている。

 日本を元気にし続けた朝の顔は、曇りがちで、もはや徳俵に追い込まれた。

みのもんたは「老害」なのか

 ボクはみのもんたの敵陣であるだろう『週刊文春』の連載であえて書く。

 朝が来た。

 新しい朝だ。

 自分のための朝だ。

 これは、みのもんたの著書『義理と人情』のあとがきに記されている、ご亡父の遺した言葉だ。

「義理と人情」──。

 芸能界に潜入し、取材をして記せば、そのすべての物語に流れる地下水脈は、この言葉に集約されることに気がつく。

 今、みのもんたを「老害」と名指しし、退場を望む観客は確かに一部にいるだろう。

 しかし、一方で、長いキャリアを持つ司会者の遺言のような言葉ひとつひとつを最後まで見届けたい無言の観客も数知れない。

 しかも、我々は、この劇場の演者の一員であり、多くの芸能人がかつてはどこかで一宿一飯の恩義がある座長の危機だ。

 今こそ、すべてを水に流し、ズバッと新しい朝を迎えて欲しい。