人の魂の遍歴を、はっきり見て取れる。
それが、ひとりのアーティストにスポットを当てた回顧展の醍醐味だ。
最良の例を、今なら千葉市美術館で体験できる。「田中一村展 千葉市美術館収蔵全作品」を開催中なのである。
南国の風景絵画で知られる田中一村
田中一村といえば、晩年になって描いた南国の風景絵画で広く知られる。
移住した奄美大島で目にした光景を、鮮やかな色彩と緻密な筆致、大胆な画面構成で描き切った作品群だ。どの作品からも、生きとし生けるものの放つ生命感が、強烈に伝わってくる。
ただし、彼がこうした画風に行き着いたのは、50代になってからのこと。それまでは、身体的にも精神的にも、さまざまな彷徨を経てきた。
今展はほぼ時系列で、田中一村の歩みと作品をたどる構成になっている。
神童画家の飽くなき画業探究
1908年に栃木県で生まれた田中一村は、幼少のころから抜群に絵がうまかった。天才少年として名を馳せ、美術教育の最高峰たる東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)へ入学する。同窓には、のちに日本画家として大成する東山魁夷もいた。
ところが田中は、ほんの数ヶ月で学校を辞めてしまう。理由は定かでないけれど、絵を習うという行為そのものが自分に向いていないと悟ったのか。
画家として立つと決意した田中は、南画と呼ばれる中国由来の文人画を手がけ始める。そのころの貴重な作例が、出品作のひとつ《椿図屏風》。豪奢な色の組み合わせと、構成の妙。型に嵌らぬスケールの大きさを感じさせる。
若手画家として一定の評価を得るも、妥協を知らない田中は千葉へ移り住んで、さらに画業に励む。近辺の農村風景や動植物を多数描き、もののかたちと情感を鋭く捉える術に磨きをかけていった。《十六羅漢図》で羅漢の個性を見事に描き分けたり、《夕日》では対象に己を同化させるような描きっぷりだったりと、多彩な作品を手がけ、冴えた筆さばきを見せる。
そうして50歳を過ぎてから、田中は奄美大島へと居を移す。大島紬の染色工員として働き、カネが貯まるとしばらく絵を描くといった生活。