その松坂が初めてブルペンに入ったのは2月6日、1000人のファンがブルペンを取り囲んだ。2月14日、バレンタインデーには1万4000人ものファンが駆け付け、松坂に届けられたチョコレートは1200個に上った。宿舎やメイングラウンドに移動するときは、ファンが周囲を取り巻いた。他の選手の移動にも支障が出たので、球団側は背格好が似た谷中真二に「18」のグラウンドコートを着せて「影武者」を演じさせた。7歳年上の谷中は「悔しい気持ちはある。野球で見返したい」と語っていた。
ファンとキャンプ 次の「球春」は…
今年の春季キャンプは「無観客」で、厳重な感染症対策を施して行われる。ファンがいなくてもトレーニングや技術の習得には大きな支障はないのかもしれないが、一方で、失われてしまうものも少なくないのではないか……と、長年取材した私自身は思っている。
2018年の宮崎、巨人キャンプ。昼下がり、メイングラウンドでは、ぽかぽか陽気の中、1軍の打撃練習が行われていた。小林誠司がケージに入るとスタンドから「こばやしー、せめて250(打率.250の意味)は打ってくれよな!」と大きなヤジ。場内はどっと沸いた。
小林は観客席をちらっと見上げ、睨んでいるように見えた。小林は2016年(打率.204)、2017年(.206)と打撃ランキングの最下位。守備やリードはともかく、打撃では正捕手のポジションを譲られた大捕手、阿部慎之助の足元にも及ばないのだから仕方がない。さぞや悔しかっただろうが、言い返すことができない成績ではあった。
このヤジに発奮したのか、この年の小林は開幕から安打を量産。4月末の時点で、一時は打率.357でリーグ3位。最終的には.219に終わったが、それでもその時点までの小林のキャリアハイだった。
同じ2018年の石垣島でのロッテキャンプ。前年ソフトバンクを戦力外になった大隣憲司は、2月16日になってロッテ入団が決まった。その翌日、キャンプ地に姿を現した大隣は、芝生の広場でさっそくファンにサイン。ファンから「良かったねー! 入団できて」と言われて本当にうれしそうに笑った。
春季キャンプは選手にとってもファンのことばを直接聞き、励ましを受ける数少ない機会なのだ。選手のモチベーションにも、少なくない影響を与えている。ファンとの交流で起こる選手の「化学変化」を見るのも春季キャンプの楽しみなのだ。
今年の春は寂しい。来年にはわくわくする「球春」が戻ってくることを心から望む。