「いや、線量を測りながら低いところを走りながらいけば、そこはいいんじゃないですか」
金山は補機指導職という肩書を持ち、入社して間もない若い運転員を指導する立場にあった。爆発後、彼らがパネルの前の床に座ったまままったくモノを言わなくなってしまったことに気づいた。家族のだれよりも長い時間を一緒に過ごしている運転員仲間だ。常日頃、冗談口が絶えない。その彼らがみんな震えている。
〈ここは自分が直接、伊沢に言った方がいいだろう〉
と金山はあえて発言したのだった。
井戸川は「金山さん、よく言ってくれた」と心の中で感謝した。他の運転員たちが座ったまま小さくうなずいている。
「世界中がここを見ているんだ」
しばし沈黙が続いた。
伊沢は当直長席から立って、みんなの方に歩み寄った。
「われわれが……」
伊沢は言葉を探したが、出てこない。
ひと呼吸して、伊沢は言った。
「われわれが……ここから退避するということは、もうこの発電所の地域、まわりのみんなを見放すことになる」
「世界中がここを見ているんだ。だから、俺はここを出るわけにはいかない。君たちを危険なところに行かせはしない。そういう状況になったら、俺の判断で君たちを避難させる」
「頼む。それまでは頼むからここに残ってくれ」
伊沢は、そういうと頭を下げた。
大友と平野も伊沢の前に出て、無言のまま頭を下げた。
みな50代である。その3人が、そろって頭を下げた。
それから伊沢が、口を開いた。
「副主任以下は免震棟に移動して待機してくれ。いいな」
運転員たちはうなずいた。
高橋は、伊沢の言った「世界中がここを見ているんだ」という言葉に心を動かされた。
〈こんな言葉を吐ける伊沢さんは偉い。伊沢さんは、冷静だ、決してパニくらない。そして、先を見た行動ができる〉
金山が20人近くを率いる形で免震重要棟に向かうことになった。金山は残ることになった主任の一人に「すみません」とだけ言い、中操を出た。外はまだ明るかった。1号機の建屋が無残な姿をさらしている。金山は若い運転員の一人にそこを撮影し、免震棟に着いたら発電グループと情報を共有するように指示した。全員、競歩のように足早に坂を上った。
「班目さん、アレは何なんですか」
その時、菅直人首相は、首相官邸4階の大会議室で、与野党党首会談を行っていた。11日夕方に次いで、二度目の与野党党首会談である。与党は来年度予算案と関連法案の年度内成立の後、来年度補正予算を早急に編成したい。それに対して野党は、通常国会をいったん休会し、今年度補正予算の早期成立を図るべきだと主張、対立していた。
党首会談の席上、菅は、その日の朝、視察した福島第一原発の状況を野党党首たちにブリーフした。
水素爆発などありえない、と菅は自信たっぷりだった。
福島第一原発に行くヘリの機中、班目春樹原子力安全委員会委員長と話した際、班目が菅に言った言葉を鮮明に覚えていたからである。