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「お前、マスコミなんじゃねえのか?」 福島第1原発に潜入して身バレした記者の“顛末”

ヤクザと原発 福島第一潜入記』より#16

2020/11/22
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 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1F勤務した様子を『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の2回目/前編から続く)

正体がばれる

 結果的に、私が危険きわまりないテスト作業を経験することはなかった。百機タンクの作業に入って数日後、出発前のJヴィレッジで上会社の責任者からこう言われたのだ。

「お前、マスコミなんじゃねえのか? みんな怪しいって言ってるぞ。もしここのことを書きやがったら……」

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 次の言葉を期待して待った。いったいどうすると言うのだろう。

「もし書いたら、俺もマスコミに書くかんな!」

 予想外の脅し文句を聞いた私は、急いでトイレに走った。面白すぎて笑いを堪えられなかったのだ。8月22日が私にとって最後の勤務となった。インターネットで検索すれば、ペンネームを使っていない私の素姓はすぐにばれる。

写真提供:鈴木智彦

 解雇の表面的な理由は、東京から通っていたこととされた。相部屋になってからは荷物でマスコミとばれるので、メーカーの用意した旅館には泊まれない。母親の体調が悪いことも長距離通勤の理由だった。近隣のホテルを探したが、夏休みと重なったためどこも満室で、当日キャンセルの部屋が見つかるかどうか五分五分だった。2日に一度の割合で往復400キロ強、日によっては500キロ近くを往復した。頻繁な長距離移動に加え、ギリギリまで取材・睡眠しているため高速道路は常にアクセル全開で、初勤務からわずか10日余りで、スズキのワゴンRはエンジンブローした。宿泊場所を求めて彷徨(さまよう)“原発記者ジプシー”としての生活は車だけでなく、私の体もブロー寸前まで追い込んだ。

 最後の日、世話になった九州勢に挨拶をし、同室になった親方衆3人には、正直に身元を告白した。一度も同じ部屋で寝たことはなかったが、この3人には現場でとても助けてもらったからだ。