「このままここにいたら、全員死にますよ」
翌12日午後、ボーンという音と運転員たちのけたたましい叫び声でガバッと身を起した。何かが爆発したようだ。隣を見ると、先輩運転員はまだぐっすり寝ていた。
〈この人ちょっと格が違うな〉
同時に、井戸川は恐怖心に囚われた。このままでは死んでしまう。逃げたい。ベントをやったからには後、ここにいて何が出来るのか。もう、炉は溶けているにきまっている。すべて手遅れだったし、ことごとくダメだった。なるようにしかならなかった。井戸川はきわめて冷静だった。
しかし実際は、いかにしてここから逃げるか、さまざまな考えが頭の中をぐるぐると回った。
〈年齢の若い順に避難させるべきだ。研修生の子たちをまず避難させる。もしかしたら、その次には自分たちも避難できるかもしれない〉
後に井戸川は「出られなかったから、あそこにいたというのが真実だ」と告白したものである。
爆発の衝撃がまだおさまらない中、井戸川の声が響いた。
「ここにいてどうにかなるんですか」
「このままここにいたら、全員死にますよ」
そこには副主任の米桝充もいた。井戸川より10歳ほど年上である。柏崎刈羽原発でも運転員をした経験を持つ。自分が言いたくても言えないことを井戸川が言ってくれている。
〈井戸川さん、勇気がある〉
米枡はそう思った。
そうした若い運転員の気持ちを察知していたのがベテラン運転員の高橋静夫だった。柏崎刈羽原発の6/7号機の運転員からこの一月、1/2号機の運転員に代わったばかりである。
高橋は、12日の昼前、免震棟に入った。その後、他の6人の副長とともに中操にやってきた。
〈若い連中というのはほったらかしにすると何もしなくなっちゃう〉
高橋は個々の任務分担を明確にし、どうしてもいなければならない者以外の若い従業員は免震棟に避難させるべきだと考えていた。
「オレたちがここにいる意味があるんでしょうか」
高橋が発言した。
「ある程度の人間は一時的にもここから逃すべきです。全員死んだらこのあと何もできなくて、本当に手がつけられなくなる」
伊沢は黙ったままである。しばし、沈黙が流れた。その時、助っ人に来ていた運転管理部作業管理グループの金山将訓(かねやままさのり)副主任(43)が立って、伊沢の名前を呼んで、直接問いただした。
「伊沢さん、オレたちがここにいる意味があるんでしょうか」
「操作もできず、手も足もでないのに、我々全員がここにいる必要はないじゃないですか」
「こんなことならもっと人数、少なくてもいいんじゃないですか」
大友喜久夫が声を上げた。
「いま、ここから出ても、安全に免震棟にいける保証はない。爆発はあったが、ここはいま大丈夫なんだから、ここにいたほうがいい」
「ベントもしてるのだから、線量が高い。いま外に出て大丈夫なわけないだろう」
金山は言い返した。