憲法改正を否定するのに憲法を起草
荒谷氏の憲法に対するスタンスは独特である。荒谷氏は現行の日本国憲法を否定している。しかし、9条改憲論者でもなければ、その他の改憲論とも一線を画している。荒谷氏は前述のように、「既存の制度やものの考え方では変革は無理です」と主張しており、改正も眼中にないようだ。
しかし、荒谷氏は約10年間「憲法を起草する会」という勉強会を主宰し、同志を集めて構想を練っていると語っている。憲法改正の枠組みを否定しているのに新しい憲法を作る。これは革命か実力行使を示唆すると捉えられかねないが、荒谷氏の本意はどうなのだろうか。それを窺わせる発言がある。
そのうちまた世界的な大きな時代の波が来ますからね、そのとき、今やっているようなチマチマした憲法改正議論を考えていてもね。僕なんかいま考えてるのは、皇室典範と国民典範。なぜなら、日本な君民一体(引用者注:「日本は君民一体」の誤字?)ですから。
『武人 甦る三島由紀夫』(晋遊舎ムック 別冊歴史探訪)所収インタビューより
世界の終末に備えるプレッパー
2013年発行の上記のインタビューの中で、荒谷氏は「大きな時代の波」が来た時、自分たちがイニシアティブを取って国民典範(「憲法より上位の国体規範」と荒谷氏は定義している)や憲法を定められると考えているようだ。その自信の源泉とは、そして「波」とは何か? 荒谷氏は2019年4月にブログでこう書いている。
大規模震災が、近々起こるであろうことはほとんどの国民が認識して対処準備を取っていますが、金融の大規模人災も近々起きるであろうことを認識している国民は少ないようです。マネーに依存しているすべての仕組みが崩壊することを前提に、私たちは未来の準備をしなくてはいけません。それは決して悲壮な覚悟ではなく、正しい人類の生き方を取り戻す絶好の機会です。
荒谷氏ブログ(2019年4月7日)より
つまり、金融カタストロフにより貨幣経済が崩壊する未来に備えつつ、その崩壊を自身の理想を実現する絶好の機会とみているのだ。このことから、荒谷氏はある種のプレッパー的な思想を抱いていると考えられる。
プレッパーとは、核戦争や大災害といった世界の終末に備え、食料の備蓄から核シェルターの保有、さらにはサバイバル訓練等を行う、一種の終末思想を持つ人々のことだ。農村で同志たちによる自給自足の共同体を目指している荒谷氏は、貨幣経済の崩壊に備え、その後の新世界を窺っているのだろう。
ある意味でこれは合法的革命論と言えるかもしれない。合法的な憲法改正を否定しても、世界崩壊後の新秩序のための憲法なら、そこに今の日本国はないからだ。