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「……野球選手では珍しく、頭がいいからね。顔悪いけど(笑)」

 この一連のやり取りこそ、あのノムさんの「遺言」ではないか。野村克也さんが、90年にヤクルトの監督に就任したのは55歳の年だった。現在の古田さんは、まさに55歳。これを「単なる偶然の一致だ」と考える人間とは一生、わかり合えないことだろう。これは決して偶然ではなく、必然なのだ。ヤクルトに戻るべくして戻るときが訪れたのだ。そう、機は熟したのだ。

「また会いましょう!」

古田敦也の引退試合 ©文藝春秋
「高津-古田」の黄金バッテリーは「古田敦也引退試合」でも ©文藝春秋

 多くのファンが覚えているはずだ。07年10月7日、神宮球場で行われた「古田敦也引退試合」のことを。あの日、超満員のヤクルトファンに向かって、古田さんは確かに言った。

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――また会いましょう!

 ついに、あの日の約束が果たされるときが来た。そのときが、刻一刻と迫っている。かつて名バッテリーを組んだ高津臣吾監督を支える、まさに「女房役」として、満を持して古田敦也氏が古巣に復帰するのである。

スワローズの伝統「背番号《27》の系譜」

 古田さんの「古巣復帰」は長年の懸案である「背番号《27》問題」に終止符が打たれる可能性を一気に飛躍させることとなる。ヤクルトスワローズには「背番号《27》の系譜」と呼ぶべき伝統がある。