球団歴代最多勝利をマークしたのは、ご存知「カネやん」こと金田正一だ。国鉄スワローズ時代に353勝267敗というとてつもない記録を残し、巨人に移籍後も勝ち星を積み重ねて、最終的には前人未到の400勝をマークした空前絶後の大投手だ。
このカネやんとずっとバッテリーを組んでいたのが、国鉄時代に不動のレギュラー捕手を務めていた根来広光だった。根来氏は1958(昭和33)年から阪急に移籍する66年まで背番号《27》を背負い続けた。
その後、67~70年までは同じく捕手の加藤俊夫が受け継ぎ、そして71年からは、後のⅤ1戦士となる大矢明彦が背番号《27》となるのである。
松岡弘、安田猛といった左右の両エースとともにチームを牽引した大矢氏は、78年に広岡達朗監督の下でついにリーグ初優勝、日本一を支える扇の要として球団史に残る名捕手となった。85年限りで大矢さんが現役引退すると、しばらくの間、背番号《27》の空白時代が訪れるが、この番号に再びまばゆすぎる光を浴びせる男が現れる。
そう、それが90年にヤクルト入りした古田敦也氏なのである。その活躍ぶりは改めて特筆すべき必要もないだろう。チームの正捕手として、92、93、95、97、01年の5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献。打者としては2097安打を放ち名球会入り。捕手としてはゴールデングラブ賞を10回も獲得。現役引退後の15年には野球殿堂入りも果たしている。
「いつの日か、堂々と背番号《27》をつけられるキャッチャーになりたい」
かねてより、中村悠平が「いつの日か、堂々と背番号《27》をつけられるキャッチャーになりたい」と発言していることは有名な話だ。しかし、なかなか中村は結果を残せず、もどかしい日々が続き、今年からはかつて相川亮二が背負っていた背番号《2》をつけることが決まった。これは、背番号《27》を断念したことの表明なのか、それとも来るべき日に向けてのワンステップなのか?
今回の春季キャンプにおいて、当然中村は古田氏からの直接指導を受けることだろう。ここで彼が何をつかむのか? 注目が集まる。西田明央、松本直樹、古賀優大、大村孟も刺激を受けることだろう。かつて奥川恭伸とバッテリーを組んでいた内山壮真は二軍スタートかもしれないが、いずれにしても若き精鋭がそろうヤクルト捕手陣にとって、「古田臨時コーチ」の存在はひときわ大きなものとなるはずだ。