一日はひと晩中まっくら
いまさらなんでこんな当たり前のことを書かなければいけないのか、とおもわなくもないのだが(何を当たり前のことを書いているのだとおもわれる方も一定数おられるとおもうが)、すでに改暦あって150年近く経っているからしかたがない。
太陰暦ではX月Y日のYは、月の形を示す数字だったのである。
一日は新月である。つまり月は出ない。ひと晩中まっくらである。
月が出てないと街は暗い。
三日に出るのは三日月。ほっそーい月である。
たぶん多くの人がイメージしている三日月よりはるかに細い「針のような月」が、本来の「三日」の月である。日没後少しだけ見えて、すぐに沈む。夜のほとんどは暗い。
月は少しずつ太くなり、月が沈むのが少しずつ遅くなり、夜の明るい時間が増える。(月の出の時間がどんどん遅くなっているからだが、この時期の月は日中に出始めるので、月の出は確認しにくい)
七日(ごろ)に半月となる。月の前半の半月を「上弦の月」と呼ぶ。(太陰暦では月の向きを確かめなくても、日付だけで上弦か下弦かがすぐわかる)
そこからどんどん月が丸くなっていく。
十五日(ごろ)に満月になる。満月は日没から月が出ていて、一晩中、出ている。
月明かりだけで外で何かができそうで、テンションの上がる夜である。
「月見」は、毎日大きくなっていく月を眺めながら「やっとフルになった満月」を見るのが楽しいのである。十数日かけたお楽しみなのだ。満月だけいきなり見るのは、漫画単行本をいきなり十五巻から読み始めるようなものだと私はおもっている。楽しければそれでもいいんだけど、なんか楽しみ方が雑だなとおもう。
満月を過ぎると、日没後、しばらく月が出ない。
地上はしばらく真っ暗になる。
どんどん月の出がおそくなり、二十二日ごろは深夜十二時ごろに出てくる。出てくるのは半月。下旬の月で深夜の月、それが下弦の月である。(弦の方向がどっちだろうとわりとどうでもいい、というのが当時の生活感覚から感じることである。風流人は違うんだろうけど)
そのあと月の出はどんどん夜明けに近づいていく。
晦日(月の最後の日)には日の出のあとに月が出る。そのため月は見られない。ふつう、月が出ない、という。
晦日の翌日が一日である。
閏年は、月がひとつ増える
ちなみに月の形が一周する周期は「29.5日」なので、太陰暦では「大の月」が三十日、「小の月」が二十九日となる。
そして、何月が大の月、何月が小の月になるかは年によって違う。毎年、かならず変わる。だいたい大の月が6回か7回、小の月が5回か6回であることが多い。
ふつうに「二月三十日」があるし、大晦日が「十二月二十九日」の年もある。
また、閏年は、月がひとつ増やされ、一年十三か月となる。(閏三月とか、閏七月が途中に挿入されるので、"十三月"は存在しない)
かつては、何月何日と示されると、それで「季節」と、「夜の明るさ(月の出入り)」がわかったわけである。