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《「麒麟がくる」最終回へ》「本能寺の変」の夜に月は出ていたか 日本人が忘れた“テロと月の関係”

2021/01/31
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 大河ドラマ『麒麟がくる』はいよいよ大詰めである。

 残念だけど、明智光秀は織田信長を殺しに行く。『麒麟がくる』は、その光秀の「残念さ」を描こうとしているのかもしれない。その日の風景を、すこしリアルに想像してみたい。

「麒麟がくる」 公式サイトより

 本能寺の変のために明智光秀が立ち上がったのは「六月一日」だった。

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 六月一日の夕刻、丹波の亀山城を発った明智光秀軍は、深夜に行軍し夜明け前に京都の本能寺にたどりつく。攻め立てられて織田信長は死ぬ。

 明智軍の感覚としては、六月一日の夕方から行動を始めて、夜のあいだに一気に信長を殺すまでつき進んだから、ほぼ一日の出来事としてとらえているだろう。

 丹波の亀山城はいまのJR亀岡駅の近くにある。(亀岡にある亀山なので少しややこしい)

 本能寺まで直線距離で15キロほど、すこし道をまわるから歩いたのは20キロ足らずというところだろう。

 いまだと山陰本線(嵯峨野線)の亀岡駅から二条駅まで各停で7駅19分(快速だと14分)、二条駅から本能寺までは1キロほどである。そんなに遠い距離ではない。東京でいえば、蒲田の城を出て池袋の寺を襲う、というほどの見当だ。

 明智軍は織田信長側に謀反を知られてはいけないので、深夜、暗闇のなかを大軍で移動した。六月一日の深夜だから、真っ暗である。

 何月であろうと「一日の夜」が真っ暗だ、ということを、すでに多くの日本人が忘れてしまっている。

 嘉永安政のころなら十歳の子供でも知っていた事象を、明治以降に生まれた人間はもうわからないのである。

「15日」はどんな空か

 ひとつは暦が変わったからだ。もうひとつは都市部の夜がやたら明るくなったからだろう。

本能寺 公式サイトより

 暦は、明治五年の十二月をもって昔の暦(太陰暦、厳密にいえば太陰太陽暦)が廃止され、明治六年以降は、欧米列強と同じ太陽暦を使うようになった。いまも使うグレゴリオ暦である。

 X月Y日とした場合、太陽暦でもXの数字には体感的な感覚がある。

 Xが1、2の場合、つまり1月、2月といえば寒いころだとわかるし、7、8だと暑い時期だ、とわかる。(北半球の話ですが)

 X月Y日のXの数字を見ると、体感的にどんな季節かがわかる。

 ただX月Y日としたYのほう、こっちにはべつだん自然と連関したイメージを抱いていない。

 1日はどういう朝なのか、15日はどんな空か、数字と連関して何かの自然を想像することがない。日付と自然が関係してない。太陽暦だからだ。(書いていて、西洋文化の自然破壊はこのへんからも始まってるような気がしてきた)

 かつて太陰暦では、日付と自然は連動していた。

「月の形」である。

 太陰はつまり月のことで、月の形をもとに暦が作られていたのだ。

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