街灯などないころだ。なくはないが、狭いエリアをほんのり照らすだけで、夜になれば、都市部であっても(江戸市中や大坂市中であっても)照明具(提灯)を個人で用意して、自分で照らしながら歩くしかなかった。
もちろん満月の夜は、明るいから提灯がなくても大丈夫である(曇っていなければ)。
今日は月明かりがある夜なのか、まったくないのか、それによって生活が変わってくる。少なくとも、用意するものが違ってくる。だから、生活の便宜のために「月の出入りがわかる太陰暦」を使っていたのである。
やがて文明開化がやってきて、街にも家にも明かりが灯され、夜になっても外を出歩けるようになると、月の形は気にされなくなっていった。
明治五年より昔の歴史の日付を見ると、その日は月が出ていたのか、出ていなかったのかがわかる。もちろん十五日でも曇りだったり、雨が降っているとそこまで明るいわけではない。ただ満月の夜は曇りでも、何となくふわっと明るかったりする。それは現代でも体感できる。
歴史上のテロはほとんど夜に起きた
日付によって、夜に起こった事件は、明るい夜だったのか、真っ暗な夜だったのかがわかる。
夜に起こるのは、だいたいテロである。暗殺ないしは襲撃。
あらためて歴史上のテロは、ほとんど夜に行われていることがわかる。
日中のテロとして有名なのは、乙巳の変、いわゆる大化の改新における蘇我入鹿暗殺だろう。飛鳥板蓋宮で式典の最中に入鹿は斬り殺された。
ちなみに六月十二日の出来事だから、夜になってもかなり明るかった日である。関係ないけど。
時の権力者トップを殺すという点で乙巳の変に並ぶのが本能寺の変だろう。
天正十年六月一日の夜、つまりまったく月の出ない夜である。
亀岡から京都まではさほど繁華な場所はないので、闇にまぎれての行軍だったのがわかる。事前に知られて信長に逃げられればおしまいである。
だから奇襲を悟られずに数千の軍が移動するには、「六月一日の夜」は最適であった。
秘密裏に行動して、しかも事後の逃げる姿も見られたくないなら、月末月始のテロが有効である。
あえて月夜を選んだ有名事件
ただ、あえて月夜を選んだテロもある。
もっとも繰り返し日本人が反芻している日本史上のテロといえば「赤穂事件」だろう。
「忠臣蔵」として芝居で繰り返し演じられ、それは映画の時代、ドラマの時代になっても続いている。(最近は少し新作を見かけないのだが)
テロ決行は十二月十四日の夜。
四十七人が徒党して、吉良邸に突入して、家来もろとも吉良義央を殺した事件である。
映像化でも、雪が止み、空にはあかあかと丸い月が出ている、という描写を見かける。ほぼ満月の夜だ。
吉良邸襲撃は、事前に見つかるのはまずい。ただ、事を遂げた場合、逃げ隠れするつもりはないので、逃亡のための闇は必要ではない。それよりも本所松坂町の吉良邸はかなり広大なため、吉良本人を見つけ出すことが主眼にあり、その場合、月夜のほうが都合がいい。
大石内蔵助良雄はおそらく、それを勘案してこの日に決行したのだとおもわれる。
これは権力者へのテロではなく、ただの派手な喧嘩にすぎないのだが、その規模が大きく(四十七人が屋敷に乱入して十数人を殺害した)また付随する物語に多くの日本人が感銘し、三百年を越えて語り継がれている。