坂本龍馬が暗殺された時、月は?
もう一つ、満月のテロ。
これもまたさほどの大物ではないが、幕末ぎりぎりの十一月十五日、京都河原町での坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺は、満月の暗殺である。
これは京都見廻組の仕事なので、暗殺というよりは「政情混乱のおり、乱暴な警察による犯人の始末」と言うレベルのものである。前年、伏見で捕り方(警官)を複数人殺害したため報復的に坂本龍馬は斬られた。坂本が警官を殺したから、乱暴な警官が坂本を殺したまでであって、あまり「日本の歴史」であつかうほどの問題ではない。(中岡はあきらかにとばっちりで、たまたま同席したから一緒に斬られてしまっただけだ)
満月の暗殺であるから、暗殺隊は隠れて行動するつもりはなかったのだろう。明るい夜に河原町の宿を襲撃し、明るい月夜の下、去って行った。
テロを決行するのは、明るい夜がいいのか、暗い夜がいいのか、それはテロの性質によるのだろう。
明るい夜は、標的の居場所と存在を間違いにくい。そのかわり、誰が犯行者なのかがわかりやすい夜である。
暗い夜の利点は、相手から自分が見つかりにくいところにある。また、標的に近づくときも逃げるときも、自分の身を隠しやすい。
よく知ってる場所なら、闇夜でも行動できるだろう。よく知らない場所での襲撃なら、明るい月夜にしたほうがいい。そういうことだとおもう。
もうひとつ、日本史上の大物の暗殺としては「長岡京造営使」だった藤原種継暗殺がある。
暗闇を利用したスナイパーによる暗殺も
当時の桓武天皇の寵愛あつく、トップ公卿だった種継は、長岡京に遷都された年の九月二十三日夜、長岡京にて「射殺(いころ)」されている。
日本の暗殺での「射殺」というのはめずらしい。
しかも京都が都になる以前の事件である(平安京遷都の十年前の事件である。平城京と平安京のあいだに十年間だけ存在した長岡京での事件であり、この暗殺がもととなって平安京への遷都がおこなわれた)。
二十三日となると、半月の夜であり、月の出は深夜12時ごろである。日没から五、六時間は暗闇で、そのおりに暗殺されたのだとおもう。しかも射殺なので(銃はないからもちろん矢である)、その場での犯人の特定はかなり困難だっただろう。暗闇から射殺して、そのまま逃走できる。日本ではかなり特異な暗殺である。
公卿トップ種継の暗殺はこのあと大きな政争となり、関係あるのかないのかわからない大物も次々と処断されていく。
藤原種継暗殺は「暗闇を利用したスナイパーによる暗殺」という日本史上稀有な事件であった。
本能寺襲撃の夜、明智軍は暗闇を移動して、隠密行動ができた。
ただまあ、これは光秀側の事前の入念な計画からそうなったわけではなく、たまたま信長が闇夜に本能寺へ泊まることになったため、それを利用したということだろう。襲撃者は、それほど自由に襲撃日を選べるわけではない。
大きな事件が起こるときは、いろんな偶然が重なっている。
明治五年以前の我が国の日付には「その夜が明るかったかどうかの情報」も入っているという話である。
そうおもって見返すと、何か別のものが見えてくることがある。