2004年あたりは迷走、太田プロ移籍が大きな転換点に
――デビューから20年以上結果を出し続け、お笑い界にずっと“いる”ように思います。これは本当にすごいことだと思うんですが…。
山本 そう言ってもらえることもあるんですけど、実は『オンバト』のレギュラー放送が終わったあたりは結構、迷走していたんですよね。当時はブラマヨさんのように「怒り」や「ひねくれ」みたいな感情を笑いに昇華するような個性派の漫才が出始めた時期でもあって。自分たちもそれっぽい漫才もやってみたんですけど、全然ハマらなかったんですよね。さっきも言ったように、それまで客ウケに全振りしていたので「自分たちのお笑い」っていうのがなかったんです。だから「ないものを探す」という不思議な旅に出てしまっていましたね。
関 意味もなく真紫の揃いのスーツを着たり、ボケとツッコミを変えたり、何かの文句だけ言い続ける漫才をしたり…いろいろやりましたね。
山本 『オンバト』で僕らよりも点数を取れていなかった芸人さんが、『爆笑レッドカーペット』とか『エンタの神様』に出て人気になったり、同期のオードリーが『M-1』でブレイクしたり…「どうしよう?」っていう焦りだけがどんどん大きくなっていましたね。
――その時は「合わせにいく力」の副作用が出てしまったんですね。
山本 そうですね。ただ、そんな時に前の事務所からお笑い部門がなくなってしまって、今いる太田プロに移ったんですよ。それが大きな転換点になった。前の事務所だとライブも定期的にあるわけじゃなかったし、悩みを相談できる先輩もいませんでしたから。
関 その点、太田プロには売れてる先輩から売れてない先輩まで全種類いましたからね(笑)。
「客にウケるってすごいことだよ」という言葉
山本 ただ、最初は先輩の芸人さんにどう接したらいいかわからなくて、ちょっと浮いちゃっていたんですけどね。同じ移籍組だったアルコ&ピースの平子さんから、「徐々に馴染んでいけばいいんだよ」なんて声かけてもらったりして、先輩芸人ともだんだんコミュニケーション取れるようになって。まぁ、平子さんはいまだに浮いてますけど(笑)。
関 その辺の事情も最初はよくわかっていなかったなぁ(笑)。僕が大きかったのはマシンガンズの西堀さんの言葉でしたね。「ウケるんだから、変なことしないでウケればいいじゃん」って言ってもらえて。「客にウケるってすごいことだよ」と言われて、それで胸のつかえがおりたような気がしますね。芸人ウケとか、いろんなものを求めすぎていたんですけど、あれもこれもじゃなくて「今あるものでやっていこう」と思えるようになった。