2020年シーズンを最後に引退した「最強のクローザー」藤川球児氏。その華麗なキャリアの裏には知られざる苦闘があった。とくにメジャーでは、最初の球団カブスで投手コーチからプレーとは関係ない理由で理不尽な扱いを受け、移籍したレンジャーズでもその影響で本来の力を発揮できなかったのだ──。
ここでは『火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟 』(日本実業出版社)の一部を抜粋し、メジャーリーグに挑戦するやいなや直面した困難のあらましを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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ボタンのかけ違いでスタートしたシーズン
僕がレンジャーズの選手だった期間は短く、2015年5月に戦力外通告を受けるまでの半年間にすぎなかった。
契約を交わした当初こそ、新天地に復活の舞台を得た気がしてうれしかったのだが、今振り返ってみると、最初からボタンをかけ違っていたような気がしてならない。
というのも、開幕を間近に控えたスプリングトレーニングに合流すると、監督が別人に変わっていたのである。
じつは、僕がレンジャーズと契約した時点で監督だったのは、その3か月前に監督が辞任したことで急遽、チームの指揮をとっていた臨時監督だった。2015年のシーズンは、新監督のもとで戦うことが決まっていたのである。
当然、そのことは公式に発表されていた。慌ただしかったとはいえ、知らなかった僕がうかつだったのだが、スプリングトレーニングまでの間に新監督と面談する機会くらい設定されてもよさそうなものだった。
「フジ、今からミーティングをしよう」
スプリングトレーニング初日の朝、まるで僕のとまどいを察したかのように、新監督から声がかかった。僕は、通訳の方とともに監督室に向かった。
反故にされた契約条項
「カブスで何があったんだ」
僕がイスに座るなり、監督はそう問いかけてきた。
「彼から聞いてるぞ」
「彼」とは、カブスの投手コーチのことである。来たな、と思った。僕は、とっさに目の前の監督と投手コーチの関係性を想像してみたが、彼らにどんなつながりがあるのか、その場ではよくわからなかった。
「あなたが彼から何を聞いたのかはわかりませんが、僕には彼ともめたという認識はありません。僕は、監督やコーチの判断に従うだけです」
「そうか。わかった」
それから少し話したあと、監督ははっきりとした口調でこう告げた。
「私は、君をメジャーでスタートさせようとは思っていない」
メジャー3年目の開幕をトリプルAで迎えろ、ということである。僕は、その場で「話が違う」と抗議しようとしたが、やめた。