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もう開幕などどうでもいい…藤川球児がメジャー挑戦で味わった“プレー以前”の苦しみ

『火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟』より #1

2021/02/08
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 僕がメジャーで開幕戦を迎えることは契約に際しての合意事項のひとつだったのだが、自分のあずかり知らない話だと監督がはねつけるのは、目に見えていたからだ。

 契約にあたっては、スプリングトレーニングでの登板試合数も6試合と決まっていたのだが、結果的に、僕は10試合近くマウンドに立った。もちろん、それも監督の指示だった。

場外の政治力に翻弄される日々

 どうやら監督とは信頼関係が結べそうにないとわかったとき、正直なところ、僕のモチベーションはほとんど失われたといっていい。

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 プロ野球選手として恥ずかしいボールは投げられない、という意地がギリギリのところで僕を支えてはいたが、これから先、野球とはまったく関係のないところで神経をすり減らさなければならないのかと考えると、シーズンを終えるまで闘争心や集中力を維持できるとは、とうてい思えなかった。

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 そんな精神状態では、おそらく実績も残せないだろう。僕は、うんざりしていた。

 カブスの投手コーチとの関係は、監督が去年までピッツバーグ・パイレーツのベンチコーチだった経歴を知り、すぐに察しがついた。カブスもパイレーツも、同じナショナル・リーグに加盟するチームである。さらに、いずれも中地区に所属していて、対戦数が多い。

 すなわち、敵味方に分かれているとはいえ、定期的に交流の機会があったと見ていい。そうした環境のなかで、おそらく彼らは頻繁に情報を交換していたのだろう。

 よく知られているように、アメリカは契約社会である。そのため、メジャーリーグについても実力主義のビジネスライクな人間関係が想像されがちだが、実態はそうとも言い切れないところがある。少なくとも、僕の実感では個人的なつながりを重視する傾向が強いように思えた。