感情を表す言葉として知っている言葉は「イライラ」
彼らは院内でもよくトラブルを起こします。よくあるのが同じ部屋の子が自分を見てくる、見てニヤニヤしてくる、独り言がうるさい、といったものでした。
頻繁になされる彼らの訴えは「イライラします。薬ください」でした。そのようなことで精神科薬を処方することはありませんが、最初は、みんなストレスが溜まってイライラするんだな、と感じていました。
しかし、診察を続けていると、彼らは何に対しても「イライラする」という言葉を使っていることに気づきました。担任の教官が来てくれなくてイライラ、親の面会がなくてイライラ、はまだ分かるのですが、お腹が空いてもイライラ、暑くてもイライラ、被害者に悲しい思いをさせたことに気づいて自分にイライラ、悲しいことがあってもイライラ、なのです。実は、彼らは感情を表す言葉として「イライラ」しか知らないのでした。
面接の中では他に、罪を犯した自分のことをどう思っているのかいつも聞くようにしていました。自分のことを正しく知ることが更生へのスタートだからです。
これは更生に限りません。学校でも不適応行動を起こしている子どもが「自分には問題がない」と思っていると、自分を何とか直したいという気持ちが生じず自分を変えるための動機づけができません。最初に聞くのが「自分はどんな人間だと思うか?」といった質問です。
私としては、非行少年たちには「取り返しのつかないことをしてしまった。自分は最低な人間だ」といった言葉を期待していました。少年たちの中には、家庭裁判所の処遇に納得できず「相手が悪い。僕ははめられました」という少年もいますが、それでもまだ想定の範囲内です。
強姦しても殺人を犯しても「自分はやさしい」
しかし、私が驚いたのは約8割の少年が「自分はやさしい人間だ」と答えたことでした。どんなにひどい犯罪を行った少年たち(連続強姦、一生治らない後遺症を負わせた暴行・傷害、放火、殺人など)でも同様でした。当初、私は耳を疑いましたが、どうやら本気で思っていたのです。
ある殺人を犯した少年も、「自分はやさしい」と答えました。そこで「どんなところがやさしいのか?」と尋ねてみると「小さい子どもやお年寄りにやさしい」「友だちからやさしいって言われる」と答えたりするのです。“なるほど”と思いました。そこでさらに私は「君は○○して、人が亡くなったけど、それは殺人ですね。それでも君はやさしい人間なの?」と聞いてみますと、そこで初めて「あー、やさしくないです」と答えるのです。
逆にいうと、“そこまで言わないと気付かない”のです。いったいこれはどういうことなのか。これではとても被害者遺族への謝罪などできるはずがありません。逮捕されてから少年院に入るまでひと月以上は経っており、その間に自分の犯した非行が十分に分かっているはずなのに、です。