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「真田丸」では“あのキャラ”が叩かれた

 視聴者は、すでに知っている人物たちをいっそう魅力的にする創作は歓迎するが、オリジナルキャラによってお気に入りの人物やエピソードが削られることに引っかかりを覚え、「うざい」とすら思ってしまうこともある。

 例えば「真田丸」(2016年)のきり(長澤まさみ)。真田昌幸(草刈正雄)の家臣・高梨内記(中原丈雄)の娘で、真田幸村こと真田信繁(堺雅人)の幼馴染として最後まで付き従うことになる。彼女には一応、モデルがいるが、かなりの創作が入っているのと、コメディリリーフという役割で、歴史的に重要な部分には関わらず、賑やかし的な動きをするので「うざい」と言う声が散見された。いまだにネットで「真田丸」「きり」と検索すると「うざい」がサジェストされる。

「真田丸」できりを演じた長澤まさみ ©getty

 それでも、なぜ、歴史的に重要ではないオリジナルの人物――主に庶民よりの人物がいつも出てくるのか。それは本来、庶民ニアリーイコール視聴者の視点であって、視聴者が共感しやすいように庶民を描いているはずなのだ。

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庶民代表としてのオリジナルキャラ

「麒麟がくる」の落合チーフプロデューサーは駒についてこのような発言をしている。

「駒の存在は朝ドラ的な感じを交ぜている。若い方が見ても口当たりがいいように分かりやすくしています」(「スポーツ報知」2020年1月17日

 武将やヒーローではない無名の登場人物が主人公になったはじめての大河ドラマは「三姉妹」(1967年)。幕末の動乱のなかで生きる旗本の娘・3人を主役にして、勝海舟、西郷隆盛、坂本龍馬などを彼女たちの視点から描いた。原作の大佛次郎は、大河ドラマ第2作の「赤穂浪士」(1964年)の原作者でもあり、「赤穂浪士」はそれこそ架空の人物が大活躍。隠密浪人・堀田隼人(林与一)、盗賊・蜘蛛の陣十郎(宇野重吉)、お仙(淡島千景)は庶民代表のように大いなる共感を獲得した。

オリジナルキャラがはじめて主人公になった「三姉妹」(1967年)

 のちに庶民の目線で大河ドラマを描いたNHKプロデューサー・近藤晋はその理由を著書『プロデューサーの旅路 テレビドラマの昨日・今日・明日』でこのように書いている。「主人公が、必ず武将であったが、これをやめよう。視座が常に『上から』であったが、これを変えよう」「現代にアピールし得る視点に立ち、町人を主人公にして、庶民の側から『大河』を作ろう」