2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織と、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂。その詩織がインスリン製剤を大量投与するなどして、茂が植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『中国人「毒婦」の告白』から抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。後編を読む)

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証言台の義兄

 11月21日、東京高裁805号法廷。何(※詩織の義兄)の証人陳述は、お定まりの人定尋問から始まった。

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「名前は?」

「何兆全です」

「職業は?」

「いまは会社員です」

「職歴は?」

「中国国防省、人民解放軍、警察などです」

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 証言台の何は、私や馬、陳と会っている時の闊達さはなく、声も消えいるように小さかった。それでも、背筋をピンと伸ばし、必死に裁判長の問いに答えようとしていた。緊張しているのだろう、脚が少し震えている。そんな何を詩織が縋るように見つめている。

「自分の具体的な仕事は刑務所の刑務官などを務めておりました。自分の家族は妻と子ども2人です。そして被告の2人の子どもを預かっております。被告の中国での生活は普通でした。

 日本にあこがれていたということは私は直接聞いておりません。日本に来てからは幸せに暮らしているとばかり思っていました。連絡がとれなくなったのは06年の2月ごろからです。被告の両親はじめみんな心配していました。被告人の子ども達も不安だったようです。子ども達には、“お母さんは仕事が忙しいからなかなか連絡が取れないんだよ。新しい仕事が一段落したら、お土産をたくさん持って帰ってくるから”と言い聞かせていました。逮捕され裁判を受けていると手紙で知ったのは今年の8月ごろです」

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「それも傷害、殺人未遂事件だと聞かされ、とてもビックリしましたし、最初はまったく理解できませんでした。被告は、これまで夫への不満を言ったこともないし、お金に困った様子もみせませんでした。それに金遣いが荒いタイプでもありません」